ウリはグアテマラでは重要な存在ニダ
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2010/02/13 15:47 投稿番号: [490 / 1181]
記事入力 : 2010/02/13 14:05:39
ルポ:グアテマラの輸出の10%を担う1万人の韓国人
「500年前のスペイン軍以降、グアテマラに最も多く移住した外国人は韓国人です」(グアテマラ「天使の家」のホン・スンイ神父)
世界で最も治安が悪い国の一つに挙げられるグアテマラでも、韓国人は特有のバイタリティーで生き残っている。首都グアテマラシティでは、人口10万人当たりに108件の殺人事件(2008年現在)が発生している。これは、南米最大の暴力組織の巣窟として有名なブラジル・リオデジャネイロ(10万人当たり37件)の約3倍に達する。韓国人はこうした国に住みつき、工場を建て、服を売り、食堂を営んでいる。韓人会館を設ける前に子どもたちの学校を建て、グアテマラの人たちのために孤児院も建設した。
「金に目がない」と現地の人々の視線は厳しい一方で、韓国人がいなければグアテマラの経済は崩壊する。1万人の韓国人が、人口1300万人のグアテマラの輸出の10%を担っているためだ。韓国大使館の関係者は、「グアテマラには米国や中国、日本から来た人々も住んでいるが、数百人に過ぎず、しかもそのほとんどは耐えきれずに去っていく。バイタリティーのある韓国人だけが耐えられる国」と話す。
■殺害された友人の写真を見て再起を決心
グアテマラシティで縫製会社「OKモダス」を営むキム・ムンジュ社長(52)は5日(現地時間)、「これまでに2度失敗し、これが3度目の挑戦」と言って笑った。
そして1枚の写真を見せ、「昨年2月に殺害された友人だ。異国の地に来て知り合った数少ない友人の一人だった…。可哀そう過ぎて、1週間ずっと泣いてばかりいた」と話した。その友人とキム社長はゴルフ仲間だったという。
裁断会社を興したキム社長は、縫製業界に30年以上携わってきた。キム社長は「1992年にグアテマラに工場長として赴任、97年に独立して縫製会社を興し、工場を建てた」と話した。
1度失敗し、2000年には、(写真の)友人と共同で2度目の事業を始めた。「二人とも完全に失敗した。家の電気代も払えないくらいだった。友人が成し遂げられなかった夢をわたしがかなえたい」
2度の失敗と友人の死後も、キム社長はあきらめなかった。再び現地の会社で工場長を務め、コツコツと金を貯めた。08年、23万ドル(約2000万円)の資金を元手に現在の工場を建てた。「従業員は400人ほどで、縫製工場としては決して大きな方ではない。それでもこの経済危機の中で、工場がストップせずに稼働しているためホッとしている」
グアテマラの縫製業は生産性が高いことで有名だ。理由は、同地の人たちはマヤ族の後えいで、手先が器用だからだ。縫製業界の関係者は、「東南アジアの二つの工場で行う作業を、ここでは一つの工場で賄える」と話す。
キム社長は「もう50歳を過ぎたが、母にほめられる息子になりたい。必ず成功して、母に誇らしいと言われる息子になりたい」と語った。
■銃にも負けない韓国人の教育熱
グアテマラのハングル学校で会ったイ・ウンドク校長(55)は6日、「わたしも7年前に銃で顔と手を撃たれた」と語った。イ校長の左のほほ骨には40個のボルトが埋め込まれている。
イ校長は「それでもここでボランティア活動をする理由は、“どれだけ安全か”よりも、“何を学ぶべきか”に価値があるからだ。子どもたちに学ぶ機会を与えるのが大切」と話す。
毎週土曜日に運営されるこの学校では、国語と音楽を中心に、韓国の教育課程を子どもたちに履修させている。本国からの支援は、年間1万ドル(約89万円)と教材がすべて。子どもたちが支払う、1学期当たり300ドル(約2万6000円)の授業料が主な収入源だ。
25人の教師は全員ボランティアで、毎週約170人の子どもたちが通っている。一軒家を改築した学校で、教室が狭いため、倉庫や屋上で授業をしているが、それでも子どもたちはハングルの本を離さない。
イ・ジョンオク先生(39)は「治安が悪く教室も狭いが、出席率は95%を超える。今朝、腕を骨折した3歳の子がギブスをして登校した」と話した。
レンギョウ組のペク・スンミンくん(5)に、「なぜみんなは休みの土曜日でも学校へ来るのか」と聞いたところ、「お母さんが“一生懸命勉強しなければならない”と言うから」と答えた。
この組を担任するチャン・ユボク先生(49)は、「子どもたちは主にスペイン語を話すため、“わたしの母”ではなく、“わたしの物の母”という風に表現するときがある。それでも絵日記を書いている姿はとてもかわいらしい」と話した。
グアテマラシティ=趙儀俊(チョ・ウィジュン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
>「金に目がない」と現地の人々の視線は厳しい
はははは
ルポ:グアテマラの輸出の10%を担う1万人の韓国人
「500年前のスペイン軍以降、グアテマラに最も多く移住した外国人は韓国人です」(グアテマラ「天使の家」のホン・スンイ神父)
世界で最も治安が悪い国の一つに挙げられるグアテマラでも、韓国人は特有のバイタリティーで生き残っている。首都グアテマラシティでは、人口10万人当たりに108件の殺人事件(2008年現在)が発生している。これは、南米最大の暴力組織の巣窟として有名なブラジル・リオデジャネイロ(10万人当たり37件)の約3倍に達する。韓国人はこうした国に住みつき、工場を建て、服を売り、食堂を営んでいる。韓人会館を設ける前に子どもたちの学校を建て、グアテマラの人たちのために孤児院も建設した。
「金に目がない」と現地の人々の視線は厳しい一方で、韓国人がいなければグアテマラの経済は崩壊する。1万人の韓国人が、人口1300万人のグアテマラの輸出の10%を担っているためだ。韓国大使館の関係者は、「グアテマラには米国や中国、日本から来た人々も住んでいるが、数百人に過ぎず、しかもそのほとんどは耐えきれずに去っていく。バイタリティーのある韓国人だけが耐えられる国」と話す。
■殺害された友人の写真を見て再起を決心
グアテマラシティで縫製会社「OKモダス」を営むキム・ムンジュ社長(52)は5日(現地時間)、「これまでに2度失敗し、これが3度目の挑戦」と言って笑った。
そして1枚の写真を見せ、「昨年2月に殺害された友人だ。異国の地に来て知り合った数少ない友人の一人だった…。可哀そう過ぎて、1週間ずっと泣いてばかりいた」と話した。その友人とキム社長はゴルフ仲間だったという。
裁断会社を興したキム社長は、縫製業界に30年以上携わってきた。キム社長は「1992年にグアテマラに工場長として赴任、97年に独立して縫製会社を興し、工場を建てた」と話した。
1度失敗し、2000年には、(写真の)友人と共同で2度目の事業を始めた。「二人とも完全に失敗した。家の電気代も払えないくらいだった。友人が成し遂げられなかった夢をわたしがかなえたい」
2度の失敗と友人の死後も、キム社長はあきらめなかった。再び現地の会社で工場長を務め、コツコツと金を貯めた。08年、23万ドル(約2000万円)の資金を元手に現在の工場を建てた。「従業員は400人ほどで、縫製工場としては決して大きな方ではない。それでもこの経済危機の中で、工場がストップせずに稼働しているためホッとしている」
グアテマラの縫製業は生産性が高いことで有名だ。理由は、同地の人たちはマヤ族の後えいで、手先が器用だからだ。縫製業界の関係者は、「東南アジアの二つの工場で行う作業を、ここでは一つの工場で賄える」と話す。
キム社長は「もう50歳を過ぎたが、母にほめられる息子になりたい。必ず成功して、母に誇らしいと言われる息子になりたい」と語った。
■銃にも負けない韓国人の教育熱
グアテマラのハングル学校で会ったイ・ウンドク校長(55)は6日、「わたしも7年前に銃で顔と手を撃たれた」と語った。イ校長の左のほほ骨には40個のボルトが埋め込まれている。
イ校長は「それでもここでボランティア活動をする理由は、“どれだけ安全か”よりも、“何を学ぶべきか”に価値があるからだ。子どもたちに学ぶ機会を与えるのが大切」と話す。
毎週土曜日に運営されるこの学校では、国語と音楽を中心に、韓国の教育課程を子どもたちに履修させている。本国からの支援は、年間1万ドル(約89万円)と教材がすべて。子どもたちが支払う、1学期当たり300ドル(約2万6000円)の授業料が主な収入源だ。
25人の教師は全員ボランティアで、毎週約170人の子どもたちが通っている。一軒家を改築した学校で、教室が狭いため、倉庫や屋上で授業をしているが、それでも子どもたちはハングルの本を離さない。
イ・ジョンオク先生(39)は「治安が悪く教室も狭いが、出席率は95%を超える。今朝、腕を骨折した3歳の子がギブスをして登校した」と話した。
レンギョウ組のペク・スンミンくん(5)に、「なぜみんなは休みの土曜日でも学校へ来るのか」と聞いたところ、「お母さんが“一生懸命勉強しなければならない”と言うから」と答えた。
この組を担任するチャン・ユボク先生(49)は、「子どもたちは主にスペイン語を話すため、“わたしの母”ではなく、“わたしの物の母”という風に表現するときがある。それでも絵日記を書いている姿はとてもかわいらしい」と話した。
グアテマラシティ=趙儀俊(チョ・ウィジュン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
>「金に目がない」と現地の人々の視線は厳しい
はははは
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