飯塚さん、「八重子の生活聞きたい」
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2009/02/13 16:57 投稿番号: [204 / 1181]
「八重子の生活聞きたい」…兄の飯塚さん、金死刑囚との面会に期待
2月12日6時55分配信 読売新聞
田口さんの写真を前に面会の希望を話す飯塚さん(6日、埼玉県春日部市で)=清水健司撮影
「直接の当事者が語る言葉の重みは違うはず。すぐにでも韓国に行って、話を聞いてみたい」
韓国の柳明桓(ユミョンファン)外交通商相が11日、1987年11月に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚(47)と、田口八重子さんの家族との面会について、実現に前向きな発言をしたことを受け、田口さんの兄で、拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さん(70)は「これをきっかけに拉致問題への関心が高まってくれれば」と期待を寄せた。
飯塚さんに、柳外交通商相の意向が伝わったのは、この日正午前。ソウルで開かれた日韓外相会談のため、中曽根外相に同行した外務省の斎木昭隆・アジア大洋州局長が携帯電話で知らせてきたという。
田口さんは22歳だった78年6月、長男で当時1歳の耕一郎さん(31)ら2人の子供を残し、東京・池袋のアパートから姿を消した。失跡の理由も、行方を探る手がかりも得られない中、9年後に起きたのが大韓航空機爆破事件だった。
この事件で逮捕された金元死刑囚は、日本人女性「李恩恵(リウンヘ)」に日本語や日本の風習を学んだと供述。日本の警察当局は91年5月、李恩恵は田口さんだと発表し、金元死刑囚の証言から、2人は83年3月までの1年8か月間、平壌近郊の招待所で一緒に過ごしたことが明らかになった。
このため飯塚さんも耕一郎さんも、金元死刑囚との面会の希望を以前から日本政府に伝えていた。「八重子が日本に帰ることができると希望をつないでいたのか、それともあきらめていたのか。北朝鮮での八重子の生活と本当の気持ちを聞きたい」と飯塚さん。耕一郎さんは「しぐさやくせなど、母の人間像が知りたい」と面会への期待を語る。
金元死刑囚も韓国メディアのインタビューで、耕一郎さんについて「目のあたりが母親に似ている。会ってみたい」と述べ、面会に前向きな姿勢を見せていた。
最終更新:2月12日6時55分
2月12日6時55分配信 読売新聞
田口さんの写真を前に面会の希望を話す飯塚さん(6日、埼玉県春日部市で)=清水健司撮影
「直接の当事者が語る言葉の重みは違うはず。すぐにでも韓国に行って、話を聞いてみたい」
韓国の柳明桓(ユミョンファン)外交通商相が11日、1987年11月に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚(47)と、田口八重子さんの家族との面会について、実現に前向きな発言をしたことを受け、田口さんの兄で、拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さん(70)は「これをきっかけに拉致問題への関心が高まってくれれば」と期待を寄せた。
飯塚さんに、柳外交通商相の意向が伝わったのは、この日正午前。ソウルで開かれた日韓外相会談のため、中曽根外相に同行した外務省の斎木昭隆・アジア大洋州局長が携帯電話で知らせてきたという。
田口さんは22歳だった78年6月、長男で当時1歳の耕一郎さん(31)ら2人の子供を残し、東京・池袋のアパートから姿を消した。失跡の理由も、行方を探る手がかりも得られない中、9年後に起きたのが大韓航空機爆破事件だった。
この事件で逮捕された金元死刑囚は、日本人女性「李恩恵(リウンヘ)」に日本語や日本の風習を学んだと供述。日本の警察当局は91年5月、李恩恵は田口さんだと発表し、金元死刑囚の証言から、2人は83年3月までの1年8か月間、平壌近郊の招待所で一緒に過ごしたことが明らかになった。
このため飯塚さんも耕一郎さんも、金元死刑囚との面会の希望を以前から日本政府に伝えていた。「八重子が日本に帰ることができると希望をつないでいたのか、それともあきらめていたのか。北朝鮮での八重子の生活と本当の気持ちを聞きたい」と飯塚さん。耕一郎さんは「しぐさやくせなど、母の人間像が知りたい」と面会への期待を語る。
金元死刑囚も韓国メディアのインタビューで、耕一郎さんについて「目のあたりが母親に似ている。会ってみたい」と述べ、面会に前向きな姿勢を見せていた。
最終更新:2月12日6時55分
これは メッセージ 1 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
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