増元るみ子さんの場合
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2012/08/10 15:44 投稿番号: [1098 / 1181]
「拉致直後、招待所で泣き続けた」増元るみ子さんの北朝鮮での生活明らかに
2012.8.10 14:53
増元るみ子さんとの生活を伝える蓮池祐木子さんの手紙
北朝鮮による拉致被害者で平成14年に帰国した蓮池祐木子さん(56)が、増元るみ子さん=拉致当時(24)=と平壌市内で同居していた当時について、「約1年間、3カ所の招待所などで一緒に生活した」と詳細に証言したことが9日、分かった。るみ子さんは「拉致直後、招待所で泣き続けた」と話していたという。るみ子さんの弟、照明さん(56)が祐木子さんに質問し、手紙で回答された内容を、都内で同日開かれた集会で明らかにした。
手紙によると、2人は1978(昭和53)年秋に、平壌駅近くのアパートで共同生活を始めた。79年の正月後に平壌市内の冷(レン)泉(チョン)招待所に移動。同年春に飛行場近くの順安(スナン)招待所に移り、るみ子さんが別の招待所に移った79年10月25日まで生活をともにした。
るみ子さんは拉致直後に別の招待所に一人でいた際、「ずっと泣いていて、一度洋服ダンスの中で泣いていたら、指導員に見つかってしまった」と当時の状況を祐木子さんに説明。「怖くて招待所のおばさんの部屋で一緒に寝ていた」と話したという。
共同生活を始めてからは夜に2人でベランダから外を眺め「日本に帰りたいね」と言い合っていた。るみ子さんが体調を崩し、医師を呼んだこともあった。
2人のもとには指導員が週に2、3回訪れ、朝鮮語を学習させた。語学を覚えるため、日記を毎日書くよう指示されたという。
照明さんは「母は84歳で足腰も弱くなった。今のうちに母に北での姉の生活を教えてあげたい」と手紙を出した経緯を説明、早期救出を訴えた。
るみ子さんは昭和53年8月12日に鹿児島県の海岸で、市川修一さん=同(23)=とともに北朝鮮工作員に拉致された。
何でおマサラ?
月山が竹島に行ったことをカモフラ−ジュするためか?
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