Re: 村井章介について報告1
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/07/24 14:11 投稿番号: [967 / 1329]
>それとも、何も悪いことをしていないのに、取締る武将か役人の点数かせぎのためだけに無実の罪で処罰されたのでしょうか?
点数稼ぎの為にあえて「誤認」したようですね。
明宗即位年(1545)7月19日、荒唐船3隻が漂着し、興陽県監蘇連はそれを倭人だと思い、鉢浦・呂島・蛇渡などに援軍を要請して出陣、蘇連・鉢浦万戸安止は上陸逃亡した彼らを追跡して91人を捕殺、蛇渡権管呉世雄・呂島万戸馮継渟も108人を討ち取ったという報告がされました。ところがよく調べてみるとそれらは髪形や体つきなどから見て倭人ではなく明人だと判明。26日にその件について朝議にかけられたと。
原文
明宗実録 明宗即位年(1545)7月26日条
下全羅道観察使沈光彦啓本于政院曰観此啓本、則興陽所斬獲者、定是唐船致敗人、至為驚愕。中宗大王、若有唐人漂流而来、則極加撫恤刷還矣、今何有如此惨酷之事乎。此意言于大臣等。【啓本云今月十九日、荒唐船三隻、自大洋中、逢風致敗、泊于興陽県境、県監蘇連以為倭人、即馳書求助于鉢浦・呂島・蛇渡等鎮、仍多率軍、急往其所而結陣、陣既成、則鉢浦万戸安止及到矣。所称倭人等、見其発軍謀捕之状、皆下陸奔遁、或有登山欲避者。蘇連・安止一時掩撃、斬獲九十一級、蛇渡権管呉世雄・呂島万戸馮継渟、亦因此別加捜討於諸鎮賊路可疑処、且追且斬、凡前後斬獲并一百八級。左道水軍節度使金世幹、因興陽牒報、二十日平明、馳往親審之、則毛髮(刑)〔形〕体、殊非賊倭、縈是唐人。】
8月2日条にも同じような事件が報告されています。
8月2日条
全羅道観察使沈光彦啓本内七月二十二日、唐船依泊於鹿島外面、万戸張明遇謂是倭人、即発軍馳到、斬獲九十二名後、因其哀乞、又擒得二百八十二名。前県監喪人柳忠貞、以取槨板事、亦到此処、被奪衣糧、同力相戦。栗[山見]権管姜僖、乗船追斬唐人十三名、柳忠貞所斬亦三十六名、斬一百四十八名、擒二百八十二名、縈四百余名云云。仁鏡議啓曰鹿島万戸張明遇、不分辨唐・倭人、多所枉殺、罪當拿推、柳忠貞等亦皆效尤為之、所当推治。然駅路有弊、請令其道監司推之。答曰知道。
明宗21年(1566)7月2日条では、明人を倭寇だとして捕殺した地方役人の「乱戦の中では倭人と明人の見分けがつかず誤認しちゃった」という弁明に対し、「南部の兵士は倭人も明人も見慣れているだろう。見分けられないことなんてありえねー」ということで厳罰がくだされました。
明宗21年(1566)7月2日条
憲府啓曰欺君罔上、人臣大罪。有犯於此、常刑罔貸。於蘭浦万戸金漢・金甲島権管朴世廉、擒殺唐人、詐称捕倭、報諸主帥、以致転啓、其倖賞欺誣之罪、固難逃矣。南辺士卒、無不慣知唐・倭形状、雖交戦之時、豈有難弁之理。仮曰風波之中、未及詳察、及其捕斬之後、見其容貌物件、可以立弁、所当以戦殺唐人実状報于主将、而貧庸之徒、心若狗テイ(豚の意味)、徒知希賞之是急、而不計欺罔之大悪。此而不治、何以痛革宿弊、而振粛朝綱乎。請金漢・朴世廉、竝拿致禁府、依律定罪。全羅右道水使李文誠、素無威風、不能禁約諸鎮之将。当金漢・朴世廉擒殺唐人、詐称捕倭、収送首級及物件之際、宜即弁[覃の上に激の右]、摘発欺罔之罪、以正軍律、而徇私同悪、録功馳啓、略無顧忌、可謂無状。請命罷職、以懲其罪。答曰竝如啓。
点数稼ぎの為にあえて「誤認」したようですね。
明宗即位年(1545)7月19日、荒唐船3隻が漂着し、興陽県監蘇連はそれを倭人だと思い、鉢浦・呂島・蛇渡などに援軍を要請して出陣、蘇連・鉢浦万戸安止は上陸逃亡した彼らを追跡して91人を捕殺、蛇渡権管呉世雄・呂島万戸馮継渟も108人を討ち取ったという報告がされました。ところがよく調べてみるとそれらは髪形や体つきなどから見て倭人ではなく明人だと判明。26日にその件について朝議にかけられたと。
原文
明宗実録 明宗即位年(1545)7月26日条
下全羅道観察使沈光彦啓本于政院曰観此啓本、則興陽所斬獲者、定是唐船致敗人、至為驚愕。中宗大王、若有唐人漂流而来、則極加撫恤刷還矣、今何有如此惨酷之事乎。此意言于大臣等。【啓本云今月十九日、荒唐船三隻、自大洋中、逢風致敗、泊于興陽県境、県監蘇連以為倭人、即馳書求助于鉢浦・呂島・蛇渡等鎮、仍多率軍、急往其所而結陣、陣既成、則鉢浦万戸安止及到矣。所称倭人等、見其発軍謀捕之状、皆下陸奔遁、或有登山欲避者。蘇連・安止一時掩撃、斬獲九十一級、蛇渡権管呉世雄・呂島万戸馮継渟、亦因此別加捜討於諸鎮賊路可疑処、且追且斬、凡前後斬獲并一百八級。左道水軍節度使金世幹、因興陽牒報、二十日平明、馳往親審之、則毛髮(刑)〔形〕体、殊非賊倭、縈是唐人。】
8月2日条にも同じような事件が報告されています。
8月2日条
全羅道観察使沈光彦啓本内七月二十二日、唐船依泊於鹿島外面、万戸張明遇謂是倭人、即発軍馳到、斬獲九十二名後、因其哀乞、又擒得二百八十二名。前県監喪人柳忠貞、以取槨板事、亦到此処、被奪衣糧、同力相戦。栗[山見]権管姜僖、乗船追斬唐人十三名、柳忠貞所斬亦三十六名、斬一百四十八名、擒二百八十二名、縈四百余名云云。仁鏡議啓曰鹿島万戸張明遇、不分辨唐・倭人、多所枉殺、罪當拿推、柳忠貞等亦皆效尤為之、所当推治。然駅路有弊、請令其道監司推之。答曰知道。
明宗21年(1566)7月2日条では、明人を倭寇だとして捕殺した地方役人の「乱戦の中では倭人と明人の見分けがつかず誤認しちゃった」という弁明に対し、「南部の兵士は倭人も明人も見慣れているだろう。見分けられないことなんてありえねー」ということで厳罰がくだされました。
明宗21年(1566)7月2日条
憲府啓曰欺君罔上、人臣大罪。有犯於此、常刑罔貸。於蘭浦万戸金漢・金甲島権管朴世廉、擒殺唐人、詐称捕倭、報諸主帥、以致転啓、其倖賞欺誣之罪、固難逃矣。南辺士卒、無不慣知唐・倭形状、雖交戦之時、豈有難弁之理。仮曰風波之中、未及詳察、及其捕斬之後、見其容貌物件、可以立弁、所当以戦殺唐人実状報于主将、而貧庸之徒、心若狗テイ(豚の意味)、徒知希賞之是急、而不計欺罔之大悪。此而不治、何以痛革宿弊、而振粛朝綱乎。請金漢・朴世廉、竝拿致禁府、依律定罪。全羅右道水使李文誠、素無威風、不能禁約諸鎮之将。当金漢・朴世廉擒殺唐人、詐称捕倭、収送首級及物件之際、宜即弁[覃の上に激の右]、摘発欺罔之罪、以正軍律、而徇私同悪、録功馳啓、略無顧忌、可謂無状。請命罷職、以懲其罪。答曰竝如啓。
これは メッセージ 966 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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