列強との条約締結「5%付帯条約条項」
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/04/07 01:11 投稿番号: [754 / 1329]
>農村経済を急速に崩壊させたのは不平等条約とは平気で嘘を吐きますね。日本でも不平等条約解消まで時間がかかったが農村経済は崩壊していない。
朝鮮が不平等条約で蒙った経済的損害はよくわかりませんが、日本も確かにこの不平等条約で経済的にも長年苦しみました。
不平等条約で日本側が経済的に苦しんだのが、
欧米との両替のゴールドラッシュで通貨制度が崩壊し、通貨価値が暴落した
(この結果、幕府は有力大名や商人達の支持を失っていた)ことの他に、
通商条約締結6年後の「欧米から輸出される全ての商品に対する関税の上限を5%ととすること」という無理な要求でした。
これには開国後、日本の繊維工業が発展を遂げ、毎年かなりの輸出超過をしたことに原因がありました。
1910年までの以後45年間、この「5%付帯条約条項」は有効で有り続けました。
この影響は、署名した次の年の貿易収支に表れました。
それまではわずかでも輸出超過で、貿易収支の黒字は工業化の途上にある日本の支えとなっていたのですが、その貿易収支が一変したのです。
日本はその年、当時の状況でいうと、一千万ドルという壊滅的な赤字の収支決算となったのでした。
日本は真綿で首を絞められるように、インドや中国と同じような運命をたどらされる危険に晒されていました。
この2つのアジアの大国に比べて、日本が唯一有利だった点は、日本の国内には、治外法権地域を除いて、まだ外国の軍隊が居なかったことでした。
インドでは占領されてから、中国ではアヘン戦争とアロー号事件以後、欧米の植民地地保有国は、両国の既存の工場制手工業を潰すことを組織的に図ったばかりでなく、両植民地に工業が発展しないよう、あらゆる手を尽くして芽のうちに摘み取ってしまおうとしていました。
と同時に、まだ初期のヨーロッパの工業製品を全面的に受け入れることができる大市場を植民地に作り出しました。
両植民地は完全にヨーロッパの原料供給国に成り下がっていたのです。
日本は刻々と同じ危険に近づきつつあったのです。
「市場は我々にとって、呼吸をするための空気のように重要である。」とオールコック卿はヨーロッパ人の本音を吐露しています。
「もし息をするための空気を得ることができないならば、我々は空気を奪いとらなければならない。」
朝鮮が不平等条約で蒙った経済的損害はよくわかりませんが、日本も確かにこの不平等条約で経済的にも長年苦しみました。
不平等条約で日本側が経済的に苦しんだのが、
欧米との両替のゴールドラッシュで通貨制度が崩壊し、通貨価値が暴落した
(この結果、幕府は有力大名や商人達の支持を失っていた)ことの他に、
通商条約締結6年後の「欧米から輸出される全ての商品に対する関税の上限を5%ととすること」という無理な要求でした。
これには開国後、日本の繊維工業が発展を遂げ、毎年かなりの輸出超過をしたことに原因がありました。
1910年までの以後45年間、この「5%付帯条約条項」は有効で有り続けました。
この影響は、署名した次の年の貿易収支に表れました。
それまではわずかでも輸出超過で、貿易収支の黒字は工業化の途上にある日本の支えとなっていたのですが、その貿易収支が一変したのです。
日本はその年、当時の状況でいうと、一千万ドルという壊滅的な赤字の収支決算となったのでした。
日本は真綿で首を絞められるように、インドや中国と同じような運命をたどらされる危険に晒されていました。
この2つのアジアの大国に比べて、日本が唯一有利だった点は、日本の国内には、治外法権地域を除いて、まだ外国の軍隊が居なかったことでした。
インドでは占領されてから、中国ではアヘン戦争とアロー号事件以後、欧米の植民地地保有国は、両国の既存の工場制手工業を潰すことを組織的に図ったばかりでなく、両植民地に工業が発展しないよう、あらゆる手を尽くして芽のうちに摘み取ってしまおうとしていました。
と同時に、まだ初期のヨーロッパの工業製品を全面的に受け入れることができる大市場を植民地に作り出しました。
両植民地は完全にヨーロッパの原料供給国に成り下がっていたのです。
日本は刻々と同じ危険に近づきつつあったのです。
「市場は我々にとって、呼吸をするための空気のように重要である。」とオールコック卿はヨーロッパ人の本音を吐露しています。
「もし息をするための空気を得ることができないならば、我々は空気を奪いとらなければならない。」
これは メッセージ 753 (koshien21c さん)への返信です.
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