李朝朝鮮

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 『大君の都』

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/18 23:22 投稿番号: [728 / 1329]
初代駐日公使ラザフォード・オールコック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%82%AF
生い立ち
1809年、ロンドン西郊のイーリングで医者トーマス・オールコックの息子として生まれた。母親が早く亡くなったため、イングランド北部の親戚の家に預けられ、15歳の時に父の下に戻り、医学の勉強を始めた。最初ウェストミンスター病院とウェストミンスター眼科病院で1年間教育を受けた後、1828年までパリに留学し、解剖学、化学、自然史を修め、またフランス語だけでなく、イタリア語も身につけた。勉学の傍ら、彫刻家のアトリエに通い、彫刻の手ほどきを受けている。ロンドンに戻った後、上の二病院で研修医として2年間過ごし、1830年に王立外科学校から開業医としての免許を得た。
その後、イギリス軍の軍医となり、戦乱のイベリア半島に赴任している。ロンドンに戻った後、内務省解剖検査官などをしたが、外務省の要請により、イベリアでの外交問題処理のため、再びスペイン、ポルトガルに赴任した。 しかし、イベリアでの過労がたたってリューマチに犯され、両手の親指が全く利かなくなった。このため、外科医として将来を断念せざるを得ず、外務省に入って外交官となることになった。




http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=mfbdabdabaaf&sid=1835396&mid=722
この本は、英国の初代駐日公使ラザフォード・オールコックが
書いた1859年6月(安政六年五月)から1862年3月
(文久二年二月)帰国するまでの三年間の記録である。
表題の「大君」とは徳川将軍のことで、幕末に用いられた称号である。

かなりの長編

マルクスは日本に関する知識をラザフォード・オールコック著の回想記「大君の都」(大英博物館所蔵)によって、1863年頃勉強していたらしい。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)