日露戦争に於ける「中立」2
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2008/01/12 18:08 投稿番号: [1091 / 1329]
前投稿でもふれたように、1904(明治37)年1月21日、日露開戦の可能性が高くなってゆく中で、大韓帝国は中立宣言を発したとされます。
しかし高宗は「日韓外交史料6
日露戦争」によれば、開戦後の2月14日、以下のような勅語を発していたようです。
日露戦争に対する韓国皇帝の勅語外部大臣を通じて伝達方依頼の件
明治三十七年二月十四日
電信
明治卅七年二月十四日午後五時五〇分発
七時一〇分着
小村外務大臣
林公使
第一四二号
昨日外部大臣来館し左の勅語を本使に伝へ且つ之を帝国政府に伝達せんことを求めたり
大韓国皇帝陛下は日本艦隊の名誉ある戦勝の報に接し日本の為め之れを祝賀せらるると同時に韓国の地位に顧み等しく同慶を表せらる云々
又同大臣は陛下の勅命に依り十三道監察使に訓令及訓電を発し我軍隊の通行に当り宿舎及軍需品の供用に応じ十分便宜を当ふべき旨を以てせり
仁川港外で日本海軍がロシア海軍を破ったのは2月9日でしたが、高宗はその祝賀を表しているのです。
日韓議定書によって大韓帝国が日本側につくとされたのは2月23日ですが、それ以前の「中立宣言」時に、当事者の一方に対してこのような勅語を送るってのは、中立の立場に照らして問題はないんでしょうかね?
エンコリの自スレ丸写しですいません。
これは メッセージ 1078 (toapanlang さん)への返信です.
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