Re: 日東荘遊歌は韓国では有名なの?
投稿者: koshien21c 投稿日時: 2007/10/26 15:28 投稿番号: [1027 / 1329]
それでは、第二弾の突込みを
>また、日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し、朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、国賓として待遇を受けた。日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって、通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした。
朝鮮が文化的先進国であれば、将軍交替時の朝鮮通信使の受け入れのみは理屈に合いません。寧ろ日本からも使節を送るだけでなく、留学生を送り先進文化を吸収させる事は古今東西変らぬ政策です。つまりそんな必要性は無かったことになります。
実際は徳川幕府は鎖国政策で、唯一出島で外国人との接点を設け、情報収集を行っている状態で、唯一朝鮮通信使を国内に入れたのは徳川幕府の権勢を諸大名や民衆に知らしめる手段であるほか、大名の参勤交代同様、通信使接待の仕方で幕府への忠誠心をはかり、財政を消耗させ軍備を増強させぬ目的であったと考えるのが妥当であると思います。
朝鮮の技術とは何があったでしょう。陶磁器生産では既に陶工を日本へ連れ帰っていて、その技術は伝承されている。通信使の初期は朝鮮征伐でつれてきた朝鮮の儒者や陶工を朝鮮に戻すための目的でしたが、多くの陶工や儒者の一部は日本に定住しました。
当時の日本は、鉄砲や大砲も自前で製造出来るし、先進技術と言われる水車の製造もらくらくできていました。その水力を利用して灯火用や食用の油を搾油し、ソバや小麦の粉を挽くなど軽工業化していました。
処が、朝鮮通信士は水車の図面を持ち帰ったが当時の朝鮮ではとうとう水車を製造できなかったという。
技術力の差は日本の方が上であることは歴然としていたでしょう。
そして、朝鮮の文化など日本には残っておりません。
こう考えると、朝鮮通信使から先進学問と技術を学ぶなんて事はありえず、外交使節として朝貢団を受け入れていたに過ぎない。寧ろ朝貢の見返りにたいする貧乏な朝鮮からの物乞い使節団であったと考える方が妥当ではないかと思います。
これは メッセージ 1025 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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