アデナウアーと比べるニダ1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2011/08/28 10:56 投稿番号: [2396 / 2701]
記事入力 : 2011/08/28 10:02:43
【コラム】李承晩の韓国とアデナウアーの西ドイツ
大韓民国の李承晩(イ・スンマン)初代大統領(1875‐1965)は、今なお論争の対象となっている。独立運動家として活動した時代も、大統領に就任した後も、死後46年が経過した今もなお、それは変わっていない。先日、KBSが制作中の「大韓民国を動かした人物‐初代大統領・李承晩」という番組をめぐり激しい論争が起こった。朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領、金大中(キム・デジュン)元大統領、鄭周永(チョン・ジュヨン)現代グループ創業者、イ・ビョンチョル・サムスングループ創業者を紹介する一方で、初代大統領を外すせば、これは韓国現代史列伝ではなくなってしまうだろう。また、少し前にはソウル・南山に高さ3メートルの李承晩元大統領の銅像を建立する問題をめぐり、再び議論が巻き起こった。ちなみに1972年には平壌の革命博物館前に高さ20メートルの金日成(キム・イルソン)主席の銅像が建てられ、また北朝鮮には1万カ所以上に金主席の銅像が設置されている。しかし、これに対しては誰も問題視していない。
李承晩元大統領は若いころ日本に植民地支配された祖国を離れ、それから33年後の1945年10月16日に故郷の地へ戻ってきた。当時、白髪の李承晩元大統領はすでに70歳になっていた。一方、それより1カ月も早くソ連の軍艦に乗って元山に渡った金日成主席はまだ33歳の若者だった。金主席がソ連からプレゼントされ、息子に遺産として残した北朝鮮という国は、今や崩壊に向かって突き進んでいる。一方の大韓民国は、1948年に政府が樹立された当時は世界で最も貧しい国の一つだったが、今や世界で10位前後の経済大国に発展した。しかし、李承晩元大統領の功罪を比較すべき対象は金日成主席ではなく、ナチスドイツが滅亡した直後の廃墟の中で、1949年に西ドイツの初代首相に就任し、祖国の発展に寄与した故コンラート・アデナウアー(1876‐1967)氏だろう。アデナウアー元首相は1959年の党大会で「ソ連はドイツの分断が自分たちにとって決してプラスにならないことを、いつか悟る日が来ることだろう。そのときこそ、全ての力を尽くして、統一のチャンスを手にしなければならない」と演説した。この演説を聞いた聴衆の中に、当時29歳で堂々とした体格を持ったヘルムート・コール氏がいた。それから30年が過ぎた1989年、コール氏は西ドイツ最後の首相としてベルリンの壁が崩壊する瞬間を見届け、その直後には統一ドイツの初代首相に就任した。
ドイツ統一後に行われた世論調査で、ドイツ国民の33%はドイツ近現代史における最高の偉人としてアデナウアー元首相を挙げた。1870年当時、複数の領主により分断していたドイツを統一したビスマルクは8%で2位だった。ドイツ国民が選ぶ偉人の中には、「東方政策」で東ドイツを抱いた首相や、「ライン川の奇跡」によってドイツ経済を復興させた首相の名前は入っていなかった。
アデナウアー元首相には生涯、「権謀術数に優れた老いたキツネ」というあだ名がついて回った。アデナウアー元首相は「医者から“あなたの寿命は長くてもあと2年”と宣告された」と発言してライバルを安心させ、直後に73歳の高齢で初代首相に就任した。また14年にわたる首相在任期間中も、自らと共にドイツ経済を復興させたエルハルト副首相の台頭をあらゆる手段を使って阻止した。それでも十分ではないと感じたのか、後に首相に就任したエルハルト氏の背中を押して落馬させたこともある。ナチスに従わなかった人物を軍の要職に任命したときは「私が北大西洋条約機構(NATO)軍を閲兵するとき、19歳の将軍を同行させることはできないではないか」などと白々しく語ったこともある。アデナウアー元首相はナチスに協力しなかった数少ない政治家の1人だったことから、このような発言が可能だったと思われる。ドイツ国民が「老いたキツネ」と呼び、どう考えても角のあるアデナウアー元首相を現代史で最高の偉人として選んだのは、ドイツを自由陣営の一員として定着させ、その土台の上で市場経済によってドイツ発展の基盤を築き上げた功績が最も大きな理由だった。
2に続きます。
【コラム】李承晩の韓国とアデナウアーの西ドイツ
大韓民国の李承晩(イ・スンマン)初代大統領(1875‐1965)は、今なお論争の対象となっている。独立運動家として活動した時代も、大統領に就任した後も、死後46年が経過した今もなお、それは変わっていない。先日、KBSが制作中の「大韓民国を動かした人物‐初代大統領・李承晩」という番組をめぐり激しい論争が起こった。朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領、金大中(キム・デジュン)元大統領、鄭周永(チョン・ジュヨン)現代グループ創業者、イ・ビョンチョル・サムスングループ創業者を紹介する一方で、初代大統領を外すせば、これは韓国現代史列伝ではなくなってしまうだろう。また、少し前にはソウル・南山に高さ3メートルの李承晩元大統領の銅像を建立する問題をめぐり、再び議論が巻き起こった。ちなみに1972年には平壌の革命博物館前に高さ20メートルの金日成(キム・イルソン)主席の銅像が建てられ、また北朝鮮には1万カ所以上に金主席の銅像が設置されている。しかし、これに対しては誰も問題視していない。
李承晩元大統領は若いころ日本に植民地支配された祖国を離れ、それから33年後の1945年10月16日に故郷の地へ戻ってきた。当時、白髪の李承晩元大統領はすでに70歳になっていた。一方、それより1カ月も早くソ連の軍艦に乗って元山に渡った金日成主席はまだ33歳の若者だった。金主席がソ連からプレゼントされ、息子に遺産として残した北朝鮮という国は、今や崩壊に向かって突き進んでいる。一方の大韓民国は、1948年に政府が樹立された当時は世界で最も貧しい国の一つだったが、今や世界で10位前後の経済大国に発展した。しかし、李承晩元大統領の功罪を比較すべき対象は金日成主席ではなく、ナチスドイツが滅亡した直後の廃墟の中で、1949年に西ドイツの初代首相に就任し、祖国の発展に寄与した故コンラート・アデナウアー(1876‐1967)氏だろう。アデナウアー元首相は1959年の党大会で「ソ連はドイツの分断が自分たちにとって決してプラスにならないことを、いつか悟る日が来ることだろう。そのときこそ、全ての力を尽くして、統一のチャンスを手にしなければならない」と演説した。この演説を聞いた聴衆の中に、当時29歳で堂々とした体格を持ったヘルムート・コール氏がいた。それから30年が過ぎた1989年、コール氏は西ドイツ最後の首相としてベルリンの壁が崩壊する瞬間を見届け、その直後には統一ドイツの初代首相に就任した。
ドイツ統一後に行われた世論調査で、ドイツ国民の33%はドイツ近現代史における最高の偉人としてアデナウアー元首相を挙げた。1870年当時、複数の領主により分断していたドイツを統一したビスマルクは8%で2位だった。ドイツ国民が選ぶ偉人の中には、「東方政策」で東ドイツを抱いた首相や、「ライン川の奇跡」によってドイツ経済を復興させた首相の名前は入っていなかった。
アデナウアー元首相には生涯、「権謀術数に優れた老いたキツネ」というあだ名がついて回った。アデナウアー元首相は「医者から“あなたの寿命は長くてもあと2年”と宣告された」と発言してライバルを安心させ、直後に73歳の高齢で初代首相に就任した。また14年にわたる首相在任期間中も、自らと共にドイツ経済を復興させたエルハルト副首相の台頭をあらゆる手段を使って阻止した。それでも十分ではないと感じたのか、後に首相に就任したエルハルト氏の背中を押して落馬させたこともある。ナチスに従わなかった人物を軍の要職に任命したときは「私が北大西洋条約機構(NATO)軍を閲兵するとき、19歳の将軍を同行させることはできないではないか」などと白々しく語ったこともある。アデナウアー元首相はナチスに協力しなかった数少ない政治家の1人だったことから、このような発言が可能だったと思われる。ドイツ国民が「老いたキツネ」と呼び、どう考えても角のあるアデナウアー元首相を現代史で最高の偉人として選んだのは、ドイツを自由陣営の一員として定着させ、その土台の上で市場経済によってドイツ発展の基盤を築き上げた功績が最も大きな理由だった。
2に続きます。
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