世界中をさまよう2万人1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2011/03/10 18:33 投稿番号: [2305 / 2701]
記事入力 : 2011/03/10 11:25:15
世界中をさまよう2万人の脱北孤児
「脱北孤児養子縁組法案」 米国は前向きだが韓国は事実上放置
「母親のことは覚えていないし、父親はどこでどうしているのか分からない。韓国に来るまではいつも空腹だった」
京畿道安山市にある、身寄りのない脱北青少年向けグループホーム「わが家」に暮らすジンヒョク君(16)=以下、全て仮名=は、身長がわずか150センチほどしかない。今年中学校に進学した同じクラスの子どもたちより3歳年上だが、体格はずっと小柄だ。
ジンヒョク君は北朝鮮が大飢饉に見舞われた1995年、咸鏡北道で生まれた。母親はジンヒョク君が幼いころ家出し、父親も食糧を手に入れるため、ほとんど家にいなかった。ジンヒョク君は12歳から市場などで物乞いをしながら、何とか生きてきた。いわゆる「コッチェビ(住む所もなく群れをなして放浪しながら、物乞いや泥棒をする青少年)」だ。
2009年1月のある日、ジンヒョク君は父親と共に凍り付いた豆満江を渡った。ジンヒョク君が川沿いの草むらに隠れていると、父親がいた方から大人たちの騒ぐ声が聞こえた。中国の国境警備隊に身柄を拘束された父は、北朝鮮に送り返された。その後、ジンヒョク君は1人で中国をさまよっていたところ、瀋陽で脱北ブローカーと出会った。ブローカーは「韓国に連れて行ってやるが、その見返りに(韓国政府から支払われる)定着支援金の一部を渡すように」と指示した。こうしてジンヒョク君はブローカーに連れられ韓国にやって来た。
脱北孤児は大きく三つに分類される。脱北の際、あるいは韓国に来た後に両親と生き別れになったケース、北朝鮮で両親を失い1人でやって来たケース、脱北女性が中国など第三国で現地の男性と関係を持って生まれ、その後放置されたケースだ。
北朝鮮民主化ネットワークのキム・ユンテ事務局長は「正確な調査が難しく、各団体が推測する数値に多少の違いはあるが、現在1万人から2万人以上の子どもたちが中国など海外でさまよっているとみられる。その一部が韓国で生活している」と説明した。南北分断における悲劇中の悲劇が脱北孤児であり、その1人1人が分断の矛盾を強いられているのだ。
このような孤児たちへの救いの手はほとんどないが、今年2月末に米国で、共和党のリチャード・バー上院議員(ノースカロライナ州選出)が「2011脱北孤児養子縁組法案」を発議した。
6歳のとき脱北したヒョソンさん(15)は「隣家の塀の横で泣いていると、知らないおばさんに手を取られ“行こう”と言われたことだけは覚えている」と語る。ヒョソンさんはベトナムを経て韓国にやって来たが、その間の記憶はまったくないという。両親がどうなったかも分からない。ヒョソンさんを診察した医師は「育ち盛りのときにしっかりと栄養を取っていないため、脳がまともに成長していない」と語った。
だがヒョソンさんは頭ではなく、体で過去のことを覚えている。葦が生えた川沿いを目にすると、胸が高鳴り体が硬直するという。ひそかに国境を越えるため、何時間も茂みに隠れていた記憶がよみがえってくるからだ。
北朝鮮にいるときからすでに孤児だったり、脱北の際に両親と生き別れになった子どもたちは、韓国に来て「無縁故離脱青少年」として認められた場合、定着支援金や無償教育、医療保護などの支援を受けることができる。さらに20歳になると、永久賃貸住宅を借りることもできる。「セタ民(韓国に定住した脱北者)特例選抜制度」により、大学に進学できるという希望も持てる。
2に続きます。
世界中をさまよう2万人の脱北孤児
「脱北孤児養子縁組法案」 米国は前向きだが韓国は事実上放置
「母親のことは覚えていないし、父親はどこでどうしているのか分からない。韓国に来るまではいつも空腹だった」
京畿道安山市にある、身寄りのない脱北青少年向けグループホーム「わが家」に暮らすジンヒョク君(16)=以下、全て仮名=は、身長がわずか150センチほどしかない。今年中学校に進学した同じクラスの子どもたちより3歳年上だが、体格はずっと小柄だ。
ジンヒョク君は北朝鮮が大飢饉に見舞われた1995年、咸鏡北道で生まれた。母親はジンヒョク君が幼いころ家出し、父親も食糧を手に入れるため、ほとんど家にいなかった。ジンヒョク君は12歳から市場などで物乞いをしながら、何とか生きてきた。いわゆる「コッチェビ(住む所もなく群れをなして放浪しながら、物乞いや泥棒をする青少年)」だ。
2009年1月のある日、ジンヒョク君は父親と共に凍り付いた豆満江を渡った。ジンヒョク君が川沿いの草むらに隠れていると、父親がいた方から大人たちの騒ぐ声が聞こえた。中国の国境警備隊に身柄を拘束された父は、北朝鮮に送り返された。その後、ジンヒョク君は1人で中国をさまよっていたところ、瀋陽で脱北ブローカーと出会った。ブローカーは「韓国に連れて行ってやるが、その見返りに(韓国政府から支払われる)定着支援金の一部を渡すように」と指示した。こうしてジンヒョク君はブローカーに連れられ韓国にやって来た。
脱北孤児は大きく三つに分類される。脱北の際、あるいは韓国に来た後に両親と生き別れになったケース、北朝鮮で両親を失い1人でやって来たケース、脱北女性が中国など第三国で現地の男性と関係を持って生まれ、その後放置されたケースだ。
北朝鮮民主化ネットワークのキム・ユンテ事務局長は「正確な調査が難しく、各団体が推測する数値に多少の違いはあるが、現在1万人から2万人以上の子どもたちが中国など海外でさまよっているとみられる。その一部が韓国で生活している」と説明した。南北分断における悲劇中の悲劇が脱北孤児であり、その1人1人が分断の矛盾を強いられているのだ。
このような孤児たちへの救いの手はほとんどないが、今年2月末に米国で、共和党のリチャード・バー上院議員(ノースカロライナ州選出)が「2011脱北孤児養子縁組法案」を発議した。
6歳のとき脱北したヒョソンさん(15)は「隣家の塀の横で泣いていると、知らないおばさんに手を取られ“行こう”と言われたことだけは覚えている」と語る。ヒョソンさんはベトナムを経て韓国にやって来たが、その間の記憶はまったくないという。両親がどうなったかも分からない。ヒョソンさんを診察した医師は「育ち盛りのときにしっかりと栄養を取っていないため、脳がまともに成長していない」と語った。
だがヒョソンさんは頭ではなく、体で過去のことを覚えている。葦が生えた川沿いを目にすると、胸が高鳴り体が硬直するという。ひそかに国境を越えるため、何時間も茂みに隠れていた記憶がよみがえってくるからだ。
北朝鮮にいるときからすでに孤児だったり、脱北の際に両親と生き別れになった子どもたちは、韓国に来て「無縁故離脱青少年」として認められた場合、定着支援金や無償教育、医療保護などの支援を受けることができる。さらに20歳になると、永久賃貸住宅を借りることもできる。「セタ民(韓国に定住した脱北者)特例選抜制度」により、大学に進学できるという希望も持てる。
2に続きます。
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