李承晩の原発の決断
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2010/01/01 15:31 投稿番号: [2042 / 2701]
記事入力 : 2010/01/01 12:32:35
【コラム】李承晩元大統領の原発の決断
韓国電力コンソーシアムが昨年12月27日、47兆ウォン(約3兆7000億円)の規模のアラブ首長国連邦(UAE)の原子力発電所事業を受注したが、その1カ月前に、韓国型原発輸出で韓国国民が感じた感動を味わう機会があった。
当時韓国電力は米国原子力規制委員会(NRC)に初めて、韓国型原発APR1400の設計認証を申請したという知らせを聞いた。厳しいことで有名なNRCの設計認証は、外国に原発を輸出する際の「保証小切手」の役割を果たす。現在NRCの設計認証の取得に取り組んでいる企業は、米ウェスティンハウスやGE、フランスのアレバ、三菱といった錚々たる企業たちだ。
NRCが位置するメリルランド州のあるホテルで行われた認証許可の事前会議は1日中行われた。NRCの幹部は、APR1400のコンピュータープログラム、燃料供給、有事の際の応急処置など対しての質問をひっきりなしに浴びせた。「安全注入タンクから水が放出されるテストを行ったが、事故が起きた際の対応基準に従ったか」「発電所の安全と関連しどのようなコンピュータープログラムを使ったのか」
NRC側の鋭い質問に対応していたこともあり、韓国型原発の安全性をPRする韓国電力の関連企業の関係者は少し興奮していた。韓国電力のチョン・グンモ顧問をはじめとする韓国側出席者は、原発技術を学んでいた学生から、輸出用のものを作り堂々と審査を受ける事業家に成長したという感慨を覚えた。
韓国電力・原子炉設計開発団のソ・ジョンテ処長はこの日の感激を次のように表現した。「何もない状態で米国で原子力技術を学びました。われわれが原発輸出のためにNRCにAPR1400の安全性を説明したこの日は、韓国原子力発電の歴史における意義深い日として記憶に残るでしょう」。韓国側の出席者らは互いに激励しながら、来年の本格的に開始されるNRCの認証許可会議の検討会議の戦略を協議した。
この日の協議では韓国電力の関係者らから韓国の原子力の歴史を作った初代大統領・李承晩(イ・スンマン)の名が挙がった。「李大統領がいなかったら原発を輸出することは不可能だった」と述べたチョン顧問の意見に全員が共感を示した。
歴史を遡ると、李元大統領は韓国における発電のルーツだった。韓国は1953年案米相互防衛条約を締結し、3年後の1956年に米国との原子力協定に調印した。1956年は、北朝鮮が千里馬運動を始め、韓国が米国の剰余農産物の援助を受けていた時代だった。その年、証券取引所が設立されたが、取引されていた株式は12銘柄に過ぎなかった。当時のGDPは2008年のGDPの約800分の1に過ぎないほど、生活が苦しい時代だった。
一言で、原発を言及すること自体が当時の韓国の経済状況には合わなかったが、李元大統領は文教部に原子力課を新設し、1959年には35万ドル(約3200万円)を投じて教育用原子炉を購入した。当時の指導者としてはめずらしく韓半島(朝鮮半島)の動向に明るく、原発産業への投資が富国にするという夢を抱いていた。
李元大統領の夢は、朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領に引き継がれ、1978年に古里1号が稼働し、韓国原発の発展時代を開いた。李元大統領の原発のルーツは、韓国電力が米国に下請け会社を置くほどの技術発展を成し遂げ、近く満了する韓米原子力協定の改定にも影響を及ぼすとみられている。
このように、400億ドル(約3兆7000億円)の超大型原発事業を受注した背景には、韓国の初代大統領の慧眼があったという事実を忘れてはならない。
ワシントン=李河遠(イ・ハウォン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
李承晩に「決断」なんてあるのか?
【コラム】李承晩元大統領の原発の決断
韓国電力コンソーシアムが昨年12月27日、47兆ウォン(約3兆7000億円)の規模のアラブ首長国連邦(UAE)の原子力発電所事業を受注したが、その1カ月前に、韓国型原発輸出で韓国国民が感じた感動を味わう機会があった。
当時韓国電力は米国原子力規制委員会(NRC)に初めて、韓国型原発APR1400の設計認証を申請したという知らせを聞いた。厳しいことで有名なNRCの設計認証は、外国に原発を輸出する際の「保証小切手」の役割を果たす。現在NRCの設計認証の取得に取り組んでいる企業は、米ウェスティンハウスやGE、フランスのアレバ、三菱といった錚々たる企業たちだ。
NRCが位置するメリルランド州のあるホテルで行われた認証許可の事前会議は1日中行われた。NRCの幹部は、APR1400のコンピュータープログラム、燃料供給、有事の際の応急処置など対しての質問をひっきりなしに浴びせた。「安全注入タンクから水が放出されるテストを行ったが、事故が起きた際の対応基準に従ったか」「発電所の安全と関連しどのようなコンピュータープログラムを使ったのか」
NRC側の鋭い質問に対応していたこともあり、韓国型原発の安全性をPRする韓国電力の関連企業の関係者は少し興奮していた。韓国電力のチョン・グンモ顧問をはじめとする韓国側出席者は、原発技術を学んでいた学生から、輸出用のものを作り堂々と審査を受ける事業家に成長したという感慨を覚えた。
韓国電力・原子炉設計開発団のソ・ジョンテ処長はこの日の感激を次のように表現した。「何もない状態で米国で原子力技術を学びました。われわれが原発輸出のためにNRCにAPR1400の安全性を説明したこの日は、韓国原子力発電の歴史における意義深い日として記憶に残るでしょう」。韓国側の出席者らは互いに激励しながら、来年の本格的に開始されるNRCの認証許可会議の検討会議の戦略を協議した。
この日の協議では韓国電力の関係者らから韓国の原子力の歴史を作った初代大統領・李承晩(イ・スンマン)の名が挙がった。「李大統領がいなかったら原発を輸出することは不可能だった」と述べたチョン顧問の意見に全員が共感を示した。
歴史を遡ると、李元大統領は韓国における発電のルーツだった。韓国は1953年案米相互防衛条約を締結し、3年後の1956年に米国との原子力協定に調印した。1956年は、北朝鮮が千里馬運動を始め、韓国が米国の剰余農産物の援助を受けていた時代だった。その年、証券取引所が設立されたが、取引されていた株式は12銘柄に過ぎなかった。当時のGDPは2008年のGDPの約800分の1に過ぎないほど、生活が苦しい時代だった。
一言で、原発を言及すること自体が当時の韓国の経済状況には合わなかったが、李元大統領は文教部に原子力課を新設し、1959年には35万ドル(約3200万円)を投じて教育用原子炉を購入した。当時の指導者としてはめずらしく韓半島(朝鮮半島)の動向に明るく、原発産業への投資が富国にするという夢を抱いていた。
李元大統領の夢は、朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領に引き継がれ、1978年に古里1号が稼働し、韓国原発の発展時代を開いた。李元大統領の原発のルーツは、韓国電力が米国に下請け会社を置くほどの技術発展を成し遂げ、近く満了する韓米原子力協定の改定にも影響を及ぼすとみられている。
このように、400億ドル(約3兆7000億円)の超大型原発事業を受注した背景には、韓国の初代大統領の慧眼があったという事実を忘れてはならない。
ワシントン=李河遠(イ・ハウォン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
李承晩に「決断」なんてあるのか?
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