真相究明委のずさんな調査
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/12/15 14:28 投稿番号: [2027 / 2701]
記事入力 : 2009/12/15 11:27:53
親日派:呂運亨の反民族行為が明らかに
真相究明委のずさんな調査、偏向性が続々とあらわに
先月『親日人名辞典』を出版した民族問題研究所(任軒永〈イム・ホンヨン〉所長)と、「親日反民族行為者リスト」を発表した親日反民族行為真相究明委員会(成大慶〈ソン・デギョン〉委員長)のずさんな調査と偏向性を示す資料が続々と公開されている。
韓国外国語大の鄭晋錫(チョン・ジンソク)名誉教授(韓国言論史)は14日、呂運亨(ヨ・ウンヒョン)の親日行為を示す資料を公開した。その中には、呂運亨が日本人検事に提出した転向書をはじめ、親日的な内容が含まれた漢詩が掲載された1946年2月10日、17日、18日付「大東新聞」、呂運亨を親日派に分類した光復(日本植民地支配からの解放)後の米軍司令部による情報報告書、朝鮮共産党の文書などが含まれている。
「大東新聞」に掲載された呂運亨の陳述書は43年2月6日、日本人検事の杉元寛一に提出されたもので、「わたしは朝鮮民族の観念を完全に清算して赤身となり、総督の命令に服従、協力して国家のために活動することを左に誓います」と書かれている。陳述書の最後には、「砲煙弾雨又経筆・為国請纓捨一身・千億結成共栄日・太平洋水洗戦塵(砲煙弾雨の中で筆もまた報い、国のために命を捧げることを請う、千億〈日本が中心となった東洋〉が結成し共栄を実現する日、太平洋の水に戦塵を洗う)」という自作の漢詩も添えられていた。
また、日帝敗戦後、ソウルに進駐した米軍司令部情報参謀部は、1945年9月12日付で作成した秘密文書「G2 Periodic Report」の中で、「呂運亨は韓国人の間で親日派として広く知られている政治家だ。朝鮮総督府から大金を受け取った」と記している。1950年11月、国連軍が奪取した朝鮮共産党の文書でも、呂運亨について「弁明する理由がない親日分子」などと記録している。
親日反民族行為真相究明委員会の成大慶委員長は、「呂運亨の親日行為に関する資料がたった一つしかなかったため、呂運亨を調査対象から除外した」と述べた。
しかし、呂運亨が1944年9月に日帝協力団体の国民動員総進会で「参与」の職責を引き受け、親日団体の朝鮮大アジア協会の相談役、朝鮮教化団体連合会の賛助弁士などに名前を連ねていた事実が確認されたことに続き、呂運亨の親日活動を示す追加の資料も発見された。これらの資料は国立図書館などで容易に見つけることができるため、民族問題研究所や親日究明委が関心を持たなかったか、わざと無視したという批判が避けられない状況となった。
李漢洙(イ・ハンス)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
間違った問題の解答は全て正解とみなされるんだな、日本では。
親日派:呂運亨の反民族行為が明らかに
真相究明委のずさんな調査、偏向性が続々とあらわに
先月『親日人名辞典』を出版した民族問題研究所(任軒永〈イム・ホンヨン〉所長)と、「親日反民族行為者リスト」を発表した親日反民族行為真相究明委員会(成大慶〈ソン・デギョン〉委員長)のずさんな調査と偏向性を示す資料が続々と公開されている。
韓国外国語大の鄭晋錫(チョン・ジンソク)名誉教授(韓国言論史)は14日、呂運亨(ヨ・ウンヒョン)の親日行為を示す資料を公開した。その中には、呂運亨が日本人検事に提出した転向書をはじめ、親日的な内容が含まれた漢詩が掲載された1946年2月10日、17日、18日付「大東新聞」、呂運亨を親日派に分類した光復(日本植民地支配からの解放)後の米軍司令部による情報報告書、朝鮮共産党の文書などが含まれている。
「大東新聞」に掲載された呂運亨の陳述書は43年2月6日、日本人検事の杉元寛一に提出されたもので、「わたしは朝鮮民族の観念を完全に清算して赤身となり、総督の命令に服従、協力して国家のために活動することを左に誓います」と書かれている。陳述書の最後には、「砲煙弾雨又経筆・為国請纓捨一身・千億結成共栄日・太平洋水洗戦塵(砲煙弾雨の中で筆もまた報い、国のために命を捧げることを請う、千億〈日本が中心となった東洋〉が結成し共栄を実現する日、太平洋の水に戦塵を洗う)」という自作の漢詩も添えられていた。
また、日帝敗戦後、ソウルに進駐した米軍司令部情報参謀部は、1945年9月12日付で作成した秘密文書「G2 Periodic Report」の中で、「呂運亨は韓国人の間で親日派として広く知られている政治家だ。朝鮮総督府から大金を受け取った」と記している。1950年11月、国連軍が奪取した朝鮮共産党の文書でも、呂運亨について「弁明する理由がない親日分子」などと記録している。
親日反民族行為真相究明委員会の成大慶委員長は、「呂運亨の親日行為に関する資料がたった一つしかなかったため、呂運亨を調査対象から除外した」と述べた。
しかし、呂運亨が1944年9月に日帝協力団体の国民動員総進会で「参与」の職責を引き受け、親日団体の朝鮮大アジア協会の相談役、朝鮮教化団体連合会の賛助弁士などに名前を連ねていた事実が確認されたことに続き、呂運亨の親日活動を示す追加の資料も発見された。これらの資料は国立図書館などで容易に見つけることができるため、民族問題研究所や親日究明委が関心を持たなかったか、わざと無視したという批判が避けられない状況となった。
李漢洙(イ・ハンス)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
間違った問題の解答は全て正解とみなされるんだな、日本では。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbbe5hu_1/2027.html