ハンセン病元患者の心の傷をいやすには
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/05/15 06:38 投稿番号: [1811 / 2701]
記事入力 : 2009/05/14 17:07:46
【萬物相】ハンセン病元患者の心の傷をいやすには
1960年代、小鹿島(全羅南道高興郡)のハンセン病患者たちは、子どもと一緒に暮らすことができなかった。子どもたちは児童保育所に預けられ、1カ月に1回だけ面会が許された。それも道路を挟んで2メートルほど離れたところで、親子がそれぞれ1列に並んで、互いに眺めることしかできなかった。「病気がうつる」というのがその理由だった。患者たちはまた、強制的に断種手術を受けさせられた。小鹿島でハンセン病患者の隔離が行われるようになったのは、日本統治時代の1916年、ここにハンセン病患者の治療を行う「慈恵医院」が開設されてからのことだ。60年代初めには、収容患者は6000人に達した。
ハンセン病の患者たちは「らい病」「ムンドゥン病」などと言われて後ろ指を指され、小鹿島へ行くときはとてつもない悲しみを味わった。筏橋駅に降り立ってもバスは乗せてくれず、50キロもの道を歩かなければならなかった。「行けども行けども黄土のでこぼこ道が続くだけ/見知らぬ人と出会っても/仲間同士だと思いうれしくなる/息が詰まるような暑さの中 足を引きずりながら歩く道/行けども行けども千里 遠い全羅道への道」。ハンセン病を患った詩人の韓何雲(ハン・ハウン)=故人=は、その受難の道を『全羅道への道』という歌にした。
ハンセン病の患者たちは62年、小鹿島の近くにある島を埋め立て、約990万平方メートル(300万坪)の干拓地を農地に変える事業に取り組み始めた。患者たちにとっての「天国」を造ろうとしたのだ。約2500人の患者たちが、スコップと鍬(くわ)だけを手に、3年間にわたって1500メートルの道を造った。ところが、完成を目前にして、近くの住民たちに追い出されてしまった。イ・チョンジュン氏はこの話を基に、『あなたたちの天国』という小説を書いた。一方、57年には慶尚南道泗川郡(現・泗川市)で、島の開墾事業を行っていた約100人の患者たちが、近くの島の住民たちに竹槍やスコップで殴られ、約20人死亡する事件も起こった。
1963年にハンセン病の患者に対する隔離・収容政策が廃止されるまで、約2万人の患者たちが国立小鹿島病院や特定地域に送り込まれ、監禁・暴行・強制堕胎などの被害を受けた。韓昇洙(ハン・スンス)首相が今月16日、小鹿島病院の開院93周年記念式典に出席し、ハンセン病の元患者や家族たちに対し、韓国政府として初めて公式な謝罪を行う。国会で先月、ハンセン病の元患者である林斗成(イム・ドゥソン)議員(ハンナラ党)が、隔離・収容政策によって患者たちが人生を台無しにしたことに対し謝罪を求めたのを受けてのことだ。なお、日本では2001年、当時の小泉純一郎首相が、ハンセン病患者の隔離政策について謝罪し、一人当たり800万−1400万円の補償を行った。
現在、ハンセン病の患者(元患者を含む)は約1万5000人で、その大部分が小鹿島や全国89カ所の「回復者定着村」に居住している。1年間に新たにハンセン病にかかる人は約10人程度だ。遺伝することはなく、治療薬だけを飲んでいれば、他人にうつることも99%ない。そのため、ハンセン病は「伝染病」ではなく「貧困病」と呼ばれている。政府は現在、「ハンセン病元患者に関する特別法」を制定し、被害の調査を行っている。しかし、ハンセン病の元患者たちが受けた心の傷をいやすためには、韓国社会におけるハンセン病に対する誤った偏見や、患者たちへの差別意識を完全になくしていくことが何よりも重要だ。
キム・ドンソプ論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
日本統治時代の患者はどういうわけか日本から金貰えたんだよな。
ヘンな国。
【萬物相】ハンセン病元患者の心の傷をいやすには
1960年代、小鹿島(全羅南道高興郡)のハンセン病患者たちは、子どもと一緒に暮らすことができなかった。子どもたちは児童保育所に預けられ、1カ月に1回だけ面会が許された。それも道路を挟んで2メートルほど離れたところで、親子がそれぞれ1列に並んで、互いに眺めることしかできなかった。「病気がうつる」というのがその理由だった。患者たちはまた、強制的に断種手術を受けさせられた。小鹿島でハンセン病患者の隔離が行われるようになったのは、日本統治時代の1916年、ここにハンセン病患者の治療を行う「慈恵医院」が開設されてからのことだ。60年代初めには、収容患者は6000人に達した。
ハンセン病の患者たちは「らい病」「ムンドゥン病」などと言われて後ろ指を指され、小鹿島へ行くときはとてつもない悲しみを味わった。筏橋駅に降り立ってもバスは乗せてくれず、50キロもの道を歩かなければならなかった。「行けども行けども黄土のでこぼこ道が続くだけ/見知らぬ人と出会っても/仲間同士だと思いうれしくなる/息が詰まるような暑さの中 足を引きずりながら歩く道/行けども行けども千里 遠い全羅道への道」。ハンセン病を患った詩人の韓何雲(ハン・ハウン)=故人=は、その受難の道を『全羅道への道』という歌にした。
ハンセン病の患者たちは62年、小鹿島の近くにある島を埋め立て、約990万平方メートル(300万坪)の干拓地を農地に変える事業に取り組み始めた。患者たちにとっての「天国」を造ろうとしたのだ。約2500人の患者たちが、スコップと鍬(くわ)だけを手に、3年間にわたって1500メートルの道を造った。ところが、完成を目前にして、近くの住民たちに追い出されてしまった。イ・チョンジュン氏はこの話を基に、『あなたたちの天国』という小説を書いた。一方、57年には慶尚南道泗川郡(現・泗川市)で、島の開墾事業を行っていた約100人の患者たちが、近くの島の住民たちに竹槍やスコップで殴られ、約20人死亡する事件も起こった。
1963年にハンセン病の患者に対する隔離・収容政策が廃止されるまで、約2万人の患者たちが国立小鹿島病院や特定地域に送り込まれ、監禁・暴行・強制堕胎などの被害を受けた。韓昇洙(ハン・スンス)首相が今月16日、小鹿島病院の開院93周年記念式典に出席し、ハンセン病の元患者や家族たちに対し、韓国政府として初めて公式な謝罪を行う。国会で先月、ハンセン病の元患者である林斗成(イム・ドゥソン)議員(ハンナラ党)が、隔離・収容政策によって患者たちが人生を台無しにしたことに対し謝罪を求めたのを受けてのことだ。なお、日本では2001年、当時の小泉純一郎首相が、ハンセン病患者の隔離政策について謝罪し、一人当たり800万−1400万円の補償を行った。
現在、ハンセン病の患者(元患者を含む)は約1万5000人で、その大部分が小鹿島や全国89カ所の「回復者定着村」に居住している。1年間に新たにハンセン病にかかる人は約10人程度だ。遺伝することはなく、治療薬だけを飲んでいれば、他人にうつることも99%ない。そのため、ハンセン病は「伝染病」ではなく「貧困病」と呼ばれている。政府は現在、「ハンセン病元患者に関する特別法」を制定し、被害の調査を行っている。しかし、ハンセン病の元患者たちが受けた心の傷をいやすためには、韓国社会におけるハンセン病に対する誤った偏見や、患者たちへの差別意識を完全になくしていくことが何よりも重要だ。
キム・ドンソプ論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
日本統治時代の患者はどういうわけか日本から金貰えたんだよな。
ヘンな国。
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