虐殺事件の真実を明らかにしたニダ
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/11/29 05:57 投稿番号: [1594 / 2701]
これは良いことです。
記事入力 : 2008/11/28 15:05:08
「戦時中に後退、銃殺された将校の名誉回復を」
真実和解委が勧告
真実・和解のための過去史整理委員会(以下、真実和解委)は27日、「ユン・テヒョン少領(少佐に当たる)死亡事件をめぐる疑惑」と1950年代に起こった3件の虐殺事件の真実を明らかにしたと発表した。
上海臨時政府光複軍に所属していた故ユン・テヒョン少領は、韓国軍第8師団21連隊1大隊長として韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦したが、その後、戦時中の1950年7月17日に慶尚北道栄州で作戦命令に違反したとして銃殺された。当時、韓国軍第8師団は栄州と豊期周辺で人民軍2個師団と戦闘を繰り広げていたが、兵力と兵器の両面で劣勢だった。そのため1大隊は防衛線を守ることができず後退、当時の21連隊長が大隊長のユン少領を銃殺するよう命令したというものだ。
真実和解委は、戦闘指揮官に対して即決処分を認めた訓令が1950年7月25日に下達されたが、その訓令は憲法と法律に根拠がなかったと指摘。そのためユン少領に対する即決処分は違法であり、国が謝罪して名誉回復のための措置を取るべき、と真実和解委は勧告した。
同じく、真実和解委は1950年に忠清北道清州と全羅北道金堤で敵対勢力(韓国戦争で民間人を集団で虐殺した人民軍、中共軍、左翼勢力を指す)により起こった民間人虐殺事件についても、真相を究明したと発表した。
真実和解委によると、同年9月に敵対勢力は忠北清州で大韓青年団員、区長、警察官などの右翼活動の経歴があるとして、清州市政治保衛部と清州刑務所、清州内務署などに監禁されていた民間人450人以上を虐殺した。人民軍と地方の左翼勢力で構成された敵対勢力は、主に周辺の山や洞窟などで民間人を銃殺し、一部は鈍器で殴り殺した。また「人民義勇軍」を組織化し、清州だけで少なくとも77人の男たちを拉致した、と真実和解委は明らかにした。
敵対勢力は全羅北道金堤でも右翼や地主、その家族たちを虐殺した。人民軍が金堤地域を占領した1950年7月20日から退却する9月28日まで、金堤郡内務署や共同墓地などで少なくとも208人が虐殺された、と真実和解委は明らかにした。犠牲者らは右翼活動を行ったり、家族の中に地主や警察官などがいるという理由で生き埋めにされるなどして殺害され、一部は山などで銃殺された。そのため真実和解委は当時の地域の状況について正しく記述し、教育することなどを国に勧告した。
真実和解委は1949年12月から1950年1月までの間に、慶尚北道盈紱郡知品面周辺でパルチザン討伐作戦を展開していた周辺住民を韓国軍25連隊が集団で殺害した事件についても、人権侵害だとして国による公式の謝罪と慰霊事業への支援など行うよう勧告した。
キム・ジンミョン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
朝鮮の場合、弾はどっから飛んでくるか解らないから・・・・
記事入力 : 2008/11/28 15:05:08
「戦時中に後退、銃殺された将校の名誉回復を」
真実和解委が勧告
真実・和解のための過去史整理委員会(以下、真実和解委)は27日、「ユン・テヒョン少領(少佐に当たる)死亡事件をめぐる疑惑」と1950年代に起こった3件の虐殺事件の真実を明らかにしたと発表した。
上海臨時政府光複軍に所属していた故ユン・テヒョン少領は、韓国軍第8師団21連隊1大隊長として韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦したが、その後、戦時中の1950年7月17日に慶尚北道栄州で作戦命令に違反したとして銃殺された。当時、韓国軍第8師団は栄州と豊期周辺で人民軍2個師団と戦闘を繰り広げていたが、兵力と兵器の両面で劣勢だった。そのため1大隊は防衛線を守ることができず後退、当時の21連隊長が大隊長のユン少領を銃殺するよう命令したというものだ。
真実和解委は、戦闘指揮官に対して即決処分を認めた訓令が1950年7月25日に下達されたが、その訓令は憲法と法律に根拠がなかったと指摘。そのためユン少領に対する即決処分は違法であり、国が謝罪して名誉回復のための措置を取るべき、と真実和解委は勧告した。
同じく、真実和解委は1950年に忠清北道清州と全羅北道金堤で敵対勢力(韓国戦争で民間人を集団で虐殺した人民軍、中共軍、左翼勢力を指す)により起こった民間人虐殺事件についても、真相を究明したと発表した。
真実和解委によると、同年9月に敵対勢力は忠北清州で大韓青年団員、区長、警察官などの右翼活動の経歴があるとして、清州市政治保衛部と清州刑務所、清州内務署などに監禁されていた民間人450人以上を虐殺した。人民軍と地方の左翼勢力で構成された敵対勢力は、主に周辺の山や洞窟などで民間人を銃殺し、一部は鈍器で殴り殺した。また「人民義勇軍」を組織化し、清州だけで少なくとも77人の男たちを拉致した、と真実和解委は明らかにした。
敵対勢力は全羅北道金堤でも右翼や地主、その家族たちを虐殺した。人民軍が金堤地域を占領した1950年7月20日から退却する9月28日まで、金堤郡内務署や共同墓地などで少なくとも208人が虐殺された、と真実和解委は明らかにした。犠牲者らは右翼活動を行ったり、家族の中に地主や警察官などがいるという理由で生き埋めにされるなどして殺害され、一部は山などで銃殺された。そのため真実和解委は当時の地域の状況について正しく記述し、教育することなどを国に勧告した。
真実和解委は1949年12月から1950年1月までの間に、慶尚北道盈紱郡知品面周辺でパルチザン討伐作戦を展開していた周辺住民を韓国軍25連隊が集団で殺害した事件についても、人権侵害だとして国による公式の謝罪と慰霊事業への支援など行うよう勧告した。
キム・ジンミョン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
朝鮮の場合、弾はどっから飛んでくるか解らないから・・・・
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