高校教科書の冒頭・・・
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/07/27 10:14 投稿番号: [1429 / 2701]
はじめに
われわれの歴史はわが民族の生きてきた足跡であり、われわれ自らが営んでいる生の根底でもある。その歴史には亀裂と悲嘆、平和と試練が入り乱れて、明るいときもあれば、暗いときもあった。
歴史は事実にもとづく学問である。したがって過去にあった事実は恥ずべきとして隠蔽することのできるものではなく、誇るべきとして誇張することもできない。それは虚言で歴史を飾ることができないからである。
われわれが歴史を学ぶのは、過ぎし日の華やかなりしときを鑑賞的に楽しもうとしたり、または困難なときを思って憤慨しようとするのではない。われわれは歴史を見るにあたって、心はより広く、眼はより遠くをめざさなければならないだろう。つまり、歴史を学ぶ究極の目的は、過去に対する理解をとおして現在を正しく認識し、未来を正しく設計することである。
民族史に対する正しい認識によって、われわれの現在と未来の問題を正しく処理する歴史的能力を啓発、進展させ、民族の力量を発展させて現在の生き方を主体的に導いていくことができるだろう。
歴史認識の土台は現在のわれわれ自身であり、現在の生き方自体が歴史の流れである。したがって歴史の姿は現在の問題からその糸口が解明されなければならないだろう。歴史は実際に近い姿であればあるほど、よりいきいきとわれわれの胸に伝えられる。そうするとき、民族史に対する認識の方向は明らかになる。
第1に、民族史は主体的に理解されなければならない。つまり民族史はわれわれ自身の問題であり、民族の主体性の根源だからである。同時に民族史の発展過程がもっている特殊性を、世界史の普遍性のなかで主体的に把握することが重要である。
第2に、民族史は発展的に理解されなければならない。民族史が現在のわれわれの生き方を生んだ根源であるばかりか、また未来を準備してくれているとすれば、それは発展性を土台にしなければならないからである。歴史を発展的観点で認識することによって、はじめて歴史発展に能動的に参与することができるだろう。
第3に、民族史は構造的に理解されなければならない。民族史はわが民族が積み上げてきた政治、経済、社会、文化のすべての業績を包括する。したがって民族史の総合的な理解のためには、各分野に対する構造的な接近が先行しなければならないだろう。
こうした観点から、われわれはわが民族が歴史を発展させてきた原動力をありのままに知り、それをとおして民族がめざす方向を見きわめなけれぱならないだろう。わが民族がなしとげた伝統と歴史をどのように理解するかによって民族の生き方を理解する問題、民族の生き方につくす問題が異なる。
今こそ、われわれはわが歴史を正しく理解して、これを土台にして今日の歴史的使命である祖国の統一と民族の繁栄を一日も早く達成し、われわれの後継者たちに誇らしい生き方を享受させることができるようにしなければならないだろう。
ボソボソ
今、民族トピ7776番。
次に踏む人、7777晩。
結構良い数字。
ボソッ。
われわれの歴史はわが民族の生きてきた足跡であり、われわれ自らが営んでいる生の根底でもある。その歴史には亀裂と悲嘆、平和と試練が入り乱れて、明るいときもあれば、暗いときもあった。
歴史は事実にもとづく学問である。したがって過去にあった事実は恥ずべきとして隠蔽することのできるものではなく、誇るべきとして誇張することもできない。それは虚言で歴史を飾ることができないからである。
われわれが歴史を学ぶのは、過ぎし日の華やかなりしときを鑑賞的に楽しもうとしたり、または困難なときを思って憤慨しようとするのではない。われわれは歴史を見るにあたって、心はより広く、眼はより遠くをめざさなければならないだろう。つまり、歴史を学ぶ究極の目的は、過去に対する理解をとおして現在を正しく認識し、未来を正しく設計することである。
民族史に対する正しい認識によって、われわれの現在と未来の問題を正しく処理する歴史的能力を啓発、進展させ、民族の力量を発展させて現在の生き方を主体的に導いていくことができるだろう。
歴史認識の土台は現在のわれわれ自身であり、現在の生き方自体が歴史の流れである。したがって歴史の姿は現在の問題からその糸口が解明されなければならないだろう。歴史は実際に近い姿であればあるほど、よりいきいきとわれわれの胸に伝えられる。そうするとき、民族史に対する認識の方向は明らかになる。
第1に、民族史は主体的に理解されなければならない。つまり民族史はわれわれ自身の問題であり、民族の主体性の根源だからである。同時に民族史の発展過程がもっている特殊性を、世界史の普遍性のなかで主体的に把握することが重要である。
第2に、民族史は発展的に理解されなければならない。民族史が現在のわれわれの生き方を生んだ根源であるばかりか、また未来を準備してくれているとすれば、それは発展性を土台にしなければならないからである。歴史を発展的観点で認識することによって、はじめて歴史発展に能動的に参与することができるだろう。
第3に、民族史は構造的に理解されなければならない。民族史はわが民族が積み上げてきた政治、経済、社会、文化のすべての業績を包括する。したがって民族史の総合的な理解のためには、各分野に対する構造的な接近が先行しなければならないだろう。
こうした観点から、われわれはわが民族が歴史を発展させてきた原動力をありのままに知り、それをとおして民族がめざす方向を見きわめなけれぱならないだろう。わが民族がなしとげた伝統と歴史をどのように理解するかによって民族の生き方を理解する問題、民族の生き方につくす問題が異なる。
今こそ、われわれはわが歴史を正しく理解して、これを土台にして今日の歴史的使命である祖国の統一と民族の繁栄を一日も早く達成し、われわれの後継者たちに誇らしい生き方を享受させることができるようにしなければならないだろう。
ボソボソ
今、民族トピ7776番。
次に踏む人、7777晩。
結構良い数字。
ボソッ。
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