民家の庭に無残な姿で転がる銅像
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/03/30 19:34 投稿番号: [1256 / 2701]
【社説】民家の庭に無残な姿で転がる李承晩氏の銅像
ソウル市鍾路区明倫洞にある個人宅の庭の隅に、韓国の初代大統領だった故・李承晩(イ・スンマン)氏の銅像2体が、体の一部が欠け、錆び付いた状態で放置されている。李承晩政権下の1950年代後半に建てられながら、1960年の4・19革命(不正選挙の結果を不服とした民衆デモにより、当時の李承晩大統領が下野した事件)の直後に撤去されたものだ。ソウルの南山公園にあった銅像は、頭の部分だけが青いひもで巻かれた状態で、その横にはタプコル公園にあった銅像の上半身部分がほこりをかぶったまま放置されている。しかし、こんな状態でも、古物商の間で売買が繰り返された銅像が一部だけでもこの庭に残っているのは、李承晩政権下で労働団体の最高委員を務めた人物が、1960年代後半にこの銅像を買い取ったおかげだ。この人物が海外へ移住した後、現在のこの家の主人が銅像も譲り受けたという。
世界中の国家の体をなした国で、建国の父、初代大統領の銅像がこんな無残な姿で転がっている国が他にあるだろうか。今年は大韓民国が建国60周年を迎える年であるにもかかわらず、建国の主役たる李承晩元大統領の業績を称える銅像や記念館がまったくない。今月26日、生誕133周年に合わせて行われた追悼行事も、李元大統領が通っていた貞洞第一教会で、信徒や「李承晩記念事業会」のメンバーだけが集まってひっそりと行われた。
韓国の歴史において、李元大統領ほど極端に評価が分かれる人物も珍しい。一方では今日の大韓民国の繁栄の礎を築いた「国の父」とされているが、左派の間では「独裁者」呼ばわりするだけにとどまらず、分断の責任まで押し付けている。韓国戦争(朝鮮戦争)を「統一のための戦争」と言い張っている北朝鮮と同一歩調を取る人たちのことだ。歴史教育をめぐる左派・右派の対立の中でも、故・朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領とともに激しい批判の対象にしている。
李承晩政権末期、本体だけで高さ7メートル、台座まで含めると25メートルにもなる巨大な銅像が南山公園に建てられたという事実は、当時の尋常ではない政治・社会の状況を物語っている。そのために、彼の銅像までもがこのように辱めを受けているのかもしれない。
しかし、李元大統領がいなかったら、自由主義と共産主義の対立の中で、今日の大韓民国が民主主義と市場経済の道を選び、その道を戦争から守り抜くことも困難だったのではないか。ユーラシア大陸のかなりの部分を共産圏が占めていた状況において、国際政治の流れを正確に読み、米国と手を結んだ李元大統領がいなかったならば、今日の大韓民国は存在しなかったかもしれない。
どんな政治指導者であっても功罪はつきものだ。ただでさえ波乱万丈な近・現代史を歩んだ韓国においては、その光と影はより大きくクローズアップされるものだ。李元大統領が政権の座にあった時代から半世紀が過ぎた今、彼を客観的に評価し、歴史的な位置付けを与えるべきときだ。味噌甕と針金と木の枝が散らかっている庭の隅に、無残な姿で転がっている初代大統領の銅像を見て、複雑な感情を抱く国民は決して少なくないはずだ。
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
>建国の父、初代大統領
大爆笑
ソウル市鍾路区明倫洞にある個人宅の庭の隅に、韓国の初代大統領だった故・李承晩(イ・スンマン)氏の銅像2体が、体の一部が欠け、錆び付いた状態で放置されている。李承晩政権下の1950年代後半に建てられながら、1960年の4・19革命(不正選挙の結果を不服とした民衆デモにより、当時の李承晩大統領が下野した事件)の直後に撤去されたものだ。ソウルの南山公園にあった銅像は、頭の部分だけが青いひもで巻かれた状態で、その横にはタプコル公園にあった銅像の上半身部分がほこりをかぶったまま放置されている。しかし、こんな状態でも、古物商の間で売買が繰り返された銅像が一部だけでもこの庭に残っているのは、李承晩政権下で労働団体の最高委員を務めた人物が、1960年代後半にこの銅像を買い取ったおかげだ。この人物が海外へ移住した後、現在のこの家の主人が銅像も譲り受けたという。
世界中の国家の体をなした国で、建国の父、初代大統領の銅像がこんな無残な姿で転がっている国が他にあるだろうか。今年は大韓民国が建国60周年を迎える年であるにもかかわらず、建国の主役たる李承晩元大統領の業績を称える銅像や記念館がまったくない。今月26日、生誕133周年に合わせて行われた追悼行事も、李元大統領が通っていた貞洞第一教会で、信徒や「李承晩記念事業会」のメンバーだけが集まってひっそりと行われた。
韓国の歴史において、李元大統領ほど極端に評価が分かれる人物も珍しい。一方では今日の大韓民国の繁栄の礎を築いた「国の父」とされているが、左派の間では「独裁者」呼ばわりするだけにとどまらず、分断の責任まで押し付けている。韓国戦争(朝鮮戦争)を「統一のための戦争」と言い張っている北朝鮮と同一歩調を取る人たちのことだ。歴史教育をめぐる左派・右派の対立の中でも、故・朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領とともに激しい批判の対象にしている。
李承晩政権末期、本体だけで高さ7メートル、台座まで含めると25メートルにもなる巨大な銅像が南山公園に建てられたという事実は、当時の尋常ではない政治・社会の状況を物語っている。そのために、彼の銅像までもがこのように辱めを受けているのかもしれない。
しかし、李元大統領がいなかったら、自由主義と共産主義の対立の中で、今日の大韓民国が民主主義と市場経済の道を選び、その道を戦争から守り抜くことも困難だったのではないか。ユーラシア大陸のかなりの部分を共産圏が占めていた状況において、国際政治の流れを正確に読み、米国と手を結んだ李元大統領がいなかったならば、今日の大韓民国は存在しなかったかもしれない。
どんな政治指導者であっても功罪はつきものだ。ただでさえ波乱万丈な近・現代史を歩んだ韓国においては、その光と影はより大きくクローズアップされるものだ。李元大統領が政権の座にあった時代から半世紀が過ぎた今、彼を客観的に評価し、歴史的な位置付けを与えるべきときだ。味噌甕と針金と木の枝が散らかっている庭の隅に、無残な姿で転がっている初代大統領の銅像を見て、複雑な感情を抱く国民は決して少なくないはずだ。
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
>建国の父、初代大統領
大爆笑
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbbe5hu_1/1256.html