壊れたまま放置された李承晩の銅像2
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/03/27 20:38 投稿番号: [1241 / 2701]
培材高校の校庭にある銅像(高さ2.5メートル)は、女性彫刻家のキム・ジョンスク氏(故人)の作品だ。1900年に同校の前身である培材学堂を卒業した李元大統領の業績を称えるため、84年に建てられた。
国会議事堂本館の中央ホールにある銅像(高さ2.25メートル)は、2000年5月に「初代国会議長」としての李元大統領を称えるために建てられた。「建国の父」としてではない。銅像建立の議案は1997年に国会に提出されたが、一部の議員たちが「五・二六政治波動(1952年に戒厳令を施行し、反対派議員を監禁して憲法改正を強行した事件)や四捨五入改憲(54年、初代大統領に限って3選禁止の規定を撤廃する憲法改正案を無理やり可決させた事件)などで議会政治をぶち壊した独裁政治の張本人だ」として反対し、99年12月にようやく本会議で可決された。
李承晩記念事業会の会員のユ・ギナムさん(83)は、「共に独立運動に携わった金九(キム・グ)や安昌浩(アン・チャンホ)の銅像は、誰もが気軽に近付くことのできる公園や広場に建てられているのに、李承晩博士の銅像だけは誰もが行けないような場所にひっそりと置かれている。実に悲しいことだ」と話している。李元大統領のライバルだった金九の銅像はソウルの南山公園や仁川大公園、京畿道の九里高校の校庭などにある。
◆「李承晩隠し」
4・19革命の後、張勉(チャン・ミョン)内閣が発足して以来、「李承晩隠し」の動きが本格化した。その後、権威主義政権の時代を経て、李元大統領の存在感は薄れていった。その代表的な例が、釜山の竜頭山公園の名称だ。1955年に李元大統領の80歳の誕生日を記念し、李元大統領の雅号を取って「ウナム公園」に改称されたが、4・19革命の直後、旧称に戻された。また、李承晩政権下で十数種類の貨幣にあしらわれた肖像画も、62年ごろにはほとんど消えた。94年に結成された李承晩記念事業会も政府からは冷遇された。政府からの支援金は、毎年開かれる「李承晩研究学術大会」の際に支給される300万ウォン(約30万円)だけだ。金九に関する資料を集めた白凡記念館への政府の支援金が昨年10億ウォン(約1億円)に達したのとは対照的だ。
延世大社会学科の柳錫春(ユ・ソクチュン)教授は「李承晩博士にも功罪があるが、歴代政権は“罪”ばかりを強調してきた」と指摘した。政権末期の「四捨五入改憲」など、独裁者としての側面があったものの、「建国の父」としての側面を無視しては、正しく評価することはできないというわけだ。また、忠南大の車相哲(チャ・サンチョル)教授(歴史学)は、「李承晩博士の最も大きな功績は、米国が消極的な姿勢を見せていた韓米相互防衛条約を締結し、韓国の安全保障を確立したことだ。政府樹立60周年の今年こそ、李承晩博士に対する歴史的な再評価をすべきときだ」と主張した。
李恒洙(イ・ハンス)記者
ウォン・ジョンファン記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
まあ、当然の処遇でしょう。
国会議事堂本館の中央ホールにある銅像(高さ2.25メートル)は、2000年5月に「初代国会議長」としての李元大統領を称えるために建てられた。「建国の父」としてではない。銅像建立の議案は1997年に国会に提出されたが、一部の議員たちが「五・二六政治波動(1952年に戒厳令を施行し、反対派議員を監禁して憲法改正を強行した事件)や四捨五入改憲(54年、初代大統領に限って3選禁止の規定を撤廃する憲法改正案を無理やり可決させた事件)などで議会政治をぶち壊した独裁政治の張本人だ」として反対し、99年12月にようやく本会議で可決された。
李承晩記念事業会の会員のユ・ギナムさん(83)は、「共に独立運動に携わった金九(キム・グ)や安昌浩(アン・チャンホ)の銅像は、誰もが気軽に近付くことのできる公園や広場に建てられているのに、李承晩博士の銅像だけは誰もが行けないような場所にひっそりと置かれている。実に悲しいことだ」と話している。李元大統領のライバルだった金九の銅像はソウルの南山公園や仁川大公園、京畿道の九里高校の校庭などにある。
◆「李承晩隠し」
4・19革命の後、張勉(チャン・ミョン)内閣が発足して以来、「李承晩隠し」の動きが本格化した。その後、権威主義政権の時代を経て、李元大統領の存在感は薄れていった。その代表的な例が、釜山の竜頭山公園の名称だ。1955年に李元大統領の80歳の誕生日を記念し、李元大統領の雅号を取って「ウナム公園」に改称されたが、4・19革命の直後、旧称に戻された。また、李承晩政権下で十数種類の貨幣にあしらわれた肖像画も、62年ごろにはほとんど消えた。94年に結成された李承晩記念事業会も政府からは冷遇された。政府からの支援金は、毎年開かれる「李承晩研究学術大会」の際に支給される300万ウォン(約30万円)だけだ。金九に関する資料を集めた白凡記念館への政府の支援金が昨年10億ウォン(約1億円)に達したのとは対照的だ。
延世大社会学科の柳錫春(ユ・ソクチュン)教授は「李承晩博士にも功罪があるが、歴代政権は“罪”ばかりを強調してきた」と指摘した。政権末期の「四捨五入改憲」など、独裁者としての側面があったものの、「建国の父」としての側面を無視しては、正しく評価することはできないというわけだ。また、忠南大の車相哲(チャ・サンチョル)教授(歴史学)は、「李承晩博士の最も大きな功績は、米国が消極的な姿勢を見せていた韓米相互防衛条約を締結し、韓国の安全保障を確立したことだ。政府樹立60周年の今年こそ、李承晩博士に対する歴史的な再評価をすべきときだ」と主張した。
李恒洙(イ・ハンス)記者
ウォン・ジョンファン記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
まあ、当然の処遇でしょう。
これは メッセージ 1240 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbbe5hu_1/1241.html