これが支那の実態だ
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/23 09:08 投稿番号: [1131 / 2701]
勢力圏を睥睨したいのか
2008.2.23 02:51
◆「世界の中心」が好き
あれは寒風吹きすさぶカナダのセントジョンズで見た風景だった。夕日が黄金色の筋を引きながら、大西洋の波間に沈もうとしていた。岬の突端に立つと、「はるばる遠くにきたものだ」との感慨がわいてくる。
ところが、岬に埋め込まれた銅板の地図を見て驚いた。ここが最果てと考えたのは、遙(はる)か西太平洋の端からきた東洋人であるからに過ぎない。銅製地図の真ん中には、しっかりとセントジョンズが描かれ「ここが世界の中心だ」と叫んでいる。
もちろん、東京にいれば当地が世界の中心に思える。これが日本列島の隣に位置する中国に至っては、中心意識を国の名前に冠してしまった。自然な愛国心の発露なのだろう。
ところが、これに政治エゴとロマンの意匠が施されるとナショナリズムに転じるというのが筆者の解釈である。だから、愛国心のぺトリオティズムとこのナショナリズムとを混同すべからず、と考えるのだ。
もう一つ「世界の中心」論の例を挙げる。
北極点と南極点を結ぶ地球表面のラインを子午線(経線)という。真北が干支の「子」、真南が「午」からこの名が付いたらしい。さらに、赤道と平行に走っている線を緯線といい、交わるところを表示することで、ある地球上の位置関係を示すことができる。ちなみに、日本の標準子午線は東経135度の明石を通っている。
◆経度0なんて意味なし
そこで、いったい子午線のスタートライン、つまり「経度0」をどこに置くかが争いのタネになる。実際に19世紀には、帝国の間で「ゼロ分捕り合戦」が起こった。紛らわしいことに、各国が独自に経度0の本初子午線を設定してしまった。
そこは力関係がモノをいう時代だから、1884年に当時の覇者である英国の旧グリニッジ天文台を通る線に統一された。
これに不満なフランスは、その後の30年間はパリ基準の本初子午線を使ってきた。映画『ダ・ヴィンチ・コード』には、このパリの本初子午線が随所に登場する。
もっとも、経度0の分捕りは120年以上も前の帝国主義時代の話である。まさか現代世界によみがえってくるとは誰も思わない。ところが、いまもって経度0を希求しているような国があるから注意を要するのだ。
米紙ワシントン・タイムズが、昨年8月に報じたキーティング米太平洋司令官の訪中記事がある。この時、中国側は司令官に対して太平洋を東西に分割して、東側を米国、西側を中国が管理することを提案したという。もちろん、司令官はこれを拒否した。
中国は太平洋の真ん中に新しい子午線を引き、あたかも北京を経度0の本初子午線として勢力圏内を睥睨(へいげい)するようなものだ。
当初は、この記事が誤報かマユツバかと感じたものだ。ところが一呼吸おくと過去の記憶がよみがえってくる。後にブッシュ政権入りする北東アジア専門家が、訪中したときのことを語ってくれた内容だ。
彼は中国要人たちとの会談で、この太平洋2分割論や共同支配論を何度も聞かされたという。彼らは「米中だけでアジア秩序を作ろう」「アジアの未来は米中二極化だ」ともちかけたといい、その古くさい思考に驚かされたと述べた。外務省筋は、勢力分割の元凶が当時の江沢民主席だったと確信している。
◆対外依存度を高めろ
太平洋を分割統治するなどと、米国にすれば、すでに日米で「自由と繁栄」の海にしているのに、いまさら秩序を壊す必要があるのかということだ。勢力圏とはつまり縄張りだから、新興ヤクザが「縄張りをよこせ」といっているに等しい。
古典的な勢力均衡論とは、一国だけが優越的な地位を占めることを阻止し、相互に均衡した力で平和を維持しようとの考えだ。ウィーン会議の際の欧州の国際関係がそうだ。第一次大戦前の三国同盟対三国協商、第二次大戦前の枢軸国対連合国、そして戦後の東西冷戦が勢力分割の歴史である。
人類が人類である限り、そうしたせめぎ合いを終わらせるのは難しい。しかし、過去との国際環境の違いは経済の相互依存が高まっていることにある。
中国の対外依存度の上昇は、かの国にある程度の富をもたらすが、経済封鎖をかけられれば継戦能力が低下することでもある。ネットの時代に「世界の中心」であることは意味を失うし、地政学的な野心だけで、相手国を押さえつける時代でもない。中国の対外依存度を高めてやれば勢力支配の欲望は減退する。(ゆあさ ひろし)
いや、日本のヘンな人たちが・・・・
◆「世界の中心」が好き
あれは寒風吹きすさぶカナダのセントジョンズで見た風景だった。夕日が黄金色の筋を引きながら、大西洋の波間に沈もうとしていた。岬の突端に立つと、「はるばる遠くにきたものだ」との感慨がわいてくる。
ところが、岬に埋め込まれた銅板の地図を見て驚いた。ここが最果てと考えたのは、遙(はる)か西太平洋の端からきた東洋人であるからに過ぎない。銅製地図の真ん中には、しっかりとセントジョンズが描かれ「ここが世界の中心だ」と叫んでいる。
もちろん、東京にいれば当地が世界の中心に思える。これが日本列島の隣に位置する中国に至っては、中心意識を国の名前に冠してしまった。自然な愛国心の発露なのだろう。
ところが、これに政治エゴとロマンの意匠が施されるとナショナリズムに転じるというのが筆者の解釈である。だから、愛国心のぺトリオティズムとこのナショナリズムとを混同すべからず、と考えるのだ。
もう一つ「世界の中心」論の例を挙げる。
北極点と南極点を結ぶ地球表面のラインを子午線(経線)という。真北が干支の「子」、真南が「午」からこの名が付いたらしい。さらに、赤道と平行に走っている線を緯線といい、交わるところを表示することで、ある地球上の位置関係を示すことができる。ちなみに、日本の標準子午線は東経135度の明石を通っている。
◆経度0なんて意味なし
そこで、いったい子午線のスタートライン、つまり「経度0」をどこに置くかが争いのタネになる。実際に19世紀には、帝国の間で「ゼロ分捕り合戦」が起こった。紛らわしいことに、各国が独自に経度0の本初子午線を設定してしまった。
そこは力関係がモノをいう時代だから、1884年に当時の覇者である英国の旧グリニッジ天文台を通る線に統一された。
これに不満なフランスは、その後の30年間はパリ基準の本初子午線を使ってきた。映画『ダ・ヴィンチ・コード』には、このパリの本初子午線が随所に登場する。
もっとも、経度0の分捕りは120年以上も前の帝国主義時代の話である。まさか現代世界によみがえってくるとは誰も思わない。ところが、いまもって経度0を希求しているような国があるから注意を要するのだ。
米紙ワシントン・タイムズが、昨年8月に報じたキーティング米太平洋司令官の訪中記事がある。この時、中国側は司令官に対して太平洋を東西に分割して、東側を米国、西側を中国が管理することを提案したという。もちろん、司令官はこれを拒否した。
中国は太平洋の真ん中に新しい子午線を引き、あたかも北京を経度0の本初子午線として勢力圏内を睥睨(へいげい)するようなものだ。
当初は、この記事が誤報かマユツバかと感じたものだ。ところが一呼吸おくと過去の記憶がよみがえってくる。後にブッシュ政権入りする北東アジア専門家が、訪中したときのことを語ってくれた内容だ。
彼は中国要人たちとの会談で、この太平洋2分割論や共同支配論を何度も聞かされたという。彼らは「米中だけでアジア秩序を作ろう」「アジアの未来は米中二極化だ」ともちかけたといい、その古くさい思考に驚かされたと述べた。外務省筋は、勢力分割の元凶が当時の江沢民主席だったと確信している。
◆対外依存度を高めろ
太平洋を分割統治するなどと、米国にすれば、すでに日米で「自由と繁栄」の海にしているのに、いまさら秩序を壊す必要があるのかということだ。勢力圏とはつまり縄張りだから、新興ヤクザが「縄張りをよこせ」といっているに等しい。
古典的な勢力均衡論とは、一国だけが優越的な地位を占めることを阻止し、相互に均衡した力で平和を維持しようとの考えだ。ウィーン会議の際の欧州の国際関係がそうだ。第一次大戦前の三国同盟対三国協商、第二次大戦前の枢軸国対連合国、そして戦後の東西冷戦が勢力分割の歴史である。
人類が人類である限り、そうしたせめぎ合いを終わらせるのは難しい。しかし、過去との国際環境の違いは経済の相互依存が高まっていることにある。
中国の対外依存度の上昇は、かの国にある程度の富をもたらすが、経済封鎖をかけられれば継戦能力が低下することでもある。ネットの時代に「世界の中心」であることは意味を失うし、地政学的な野心だけで、相手国を押さえつける時代でもない。中国の対外依存度を高めてやれば勢力支配の欲望は減退する。(ゆあさ ひろし)
いや、日本のヘンな人たちが・・・・
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