歴史博物館
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2013/01/01 17:02 投稿番号: [1003 / 1030]
記事入力 : 2013/01/01 08:09
【萬物相】韓国の歴史博物館
「兄さんにお便りします。姉さんや子どもたちも特にお変わりなく、店もうまくいっていますか。きょうも気温は51度。すっきり冷えたマッコリ(韓国式濁り酒)がとても恋しいです。飛行機が飛び立つたびに戻りたくなる私のふるさと。初月給26万ウォン(現在のレートで約2万450円)を送金しました。兄さん、今度会ったら笑いましょう」。つづりがおかしい部分は多い。しかし小さなはがきは、家族を懐かしむ気持ちや、不自由しない未来をつくろうという情熱であふれている。これは、1970年代に中東に出稼ぎに行った労働者が送った便りだ。
故郷の父親が中東の息子にあてて送った便りもある。「お前は、わが一族の輝ける星となる材木なのだ。たとえ、金を稼ぐために遠い土地で苦労しても、それで満足はできない。(中略)8月15日は祖父の命日だ。覚えておくように」。ドイツに派遣されたある看護師は「銀行に行って送金し、寄宿舎に戻るとき、その足取りは軽くはなかった」と書いた。だがその金で弟が大学に入り、奨学金をもらったというニュースを聞くと、力がわいたという。
誰もが苦労し、腹をすかせていた時代だった。それでも皆、努力すれば今よりましな未来がある、という希望を持って耐えた。韓国人一人一人の血と汗が染みこんだ記録や文献は、今では大韓民国64年の歴史を後代に証言する歴史となった。大小の歴史資料4万点余りを集めた「大韓民国歴史記念館」が12月26日、ソウル市世宗路にオープンした。
兪鎮午(ユ・ジンオ)が起草した韓国憲法草案、鄭錫海(チョン・ソクへ)・権五惇(クォン・オドン)・朴斗鎮(パク・トゥジン)などが自署した4・19(1960年4月19日。不正選挙に端を発したデモにより、当時の李承晩〈イ・スンマン〉大統領が下野した事件。四月革命)教授団デモの名簿、日韓基本条約に先駆けて作成された金鍾泌(キム・ジョンピル)・大平メモ…。それぞれの時代の曲がり角で韓国の運命を決定付けた文書が、姿を現した。1950年代にシラミ撲滅のため使われたDDTの噴霧器や、ドラム缶をたたいて伸ばし、車体を作った、韓国車としては初の「始発タクシー」(1950年代に運行したタクシーの一種。ジープを改造した車を使っていた)も来場者を出迎える。1965年に貯蓄奨励のために農協が作った貯金箱には「小銭を入れて黄牛(黄色の毛をした立派な雄牛)を買おう」というスローガンが刻まれている。
展示品の説明文を読むと、5・16(1961年5月16日。朴正熙〈パク・チョンヒ〉陸軍少将〈当時〉らによる軍事クーデター)は「軍事政変」と記されていた。10月維新(1972年10月に、当時の朴正煕〈パク・チョンヒ〉大統領が非常戒厳令を宣布したことを指す。後に憲法を改正し、軍事独裁体制を敷いた)については「民主主義が行方不明になった」と書かれている。60−80年代の反共主義の裏には「人権弾圧や拷問、思想の自由の剥奪という暗い影がつきまとっていた」とも記されている。焼身自殺した労働運動家の全泰壱(チョン・テイル)に象徴される産業化の暗部、維新反対や6月抗争(1987年6月に起こった民主化要求運動)といった民主化運動にも、少なからぬスペースを割いた。記念館を見て回った後「自分の支持していた主義・主張の歴史が粗末に扱われた」と残念に思う人もいるだろう。事実、そうやって互いにいがみあって生きてきたのが、韓国の歴史だ。残念な部分はある一方、それを改めていく過程もまた、韓国の新たな歴史になるだろう。
金泰翼(キム・テイク)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
>残念な部分はある
残念だらけだろう。
【萬物相】韓国の歴史博物館
「兄さんにお便りします。姉さんや子どもたちも特にお変わりなく、店もうまくいっていますか。きょうも気温は51度。すっきり冷えたマッコリ(韓国式濁り酒)がとても恋しいです。飛行機が飛び立つたびに戻りたくなる私のふるさと。初月給26万ウォン(現在のレートで約2万450円)を送金しました。兄さん、今度会ったら笑いましょう」。つづりがおかしい部分は多い。しかし小さなはがきは、家族を懐かしむ気持ちや、不自由しない未来をつくろうという情熱であふれている。これは、1970年代に中東に出稼ぎに行った労働者が送った便りだ。
故郷の父親が中東の息子にあてて送った便りもある。「お前は、わが一族の輝ける星となる材木なのだ。たとえ、金を稼ぐために遠い土地で苦労しても、それで満足はできない。(中略)8月15日は祖父の命日だ。覚えておくように」。ドイツに派遣されたある看護師は「銀行に行って送金し、寄宿舎に戻るとき、その足取りは軽くはなかった」と書いた。だがその金で弟が大学に入り、奨学金をもらったというニュースを聞くと、力がわいたという。
誰もが苦労し、腹をすかせていた時代だった。それでも皆、努力すれば今よりましな未来がある、という希望を持って耐えた。韓国人一人一人の血と汗が染みこんだ記録や文献は、今では大韓民国64年の歴史を後代に証言する歴史となった。大小の歴史資料4万点余りを集めた「大韓民国歴史記念館」が12月26日、ソウル市世宗路にオープンした。
兪鎮午(ユ・ジンオ)が起草した韓国憲法草案、鄭錫海(チョン・ソクへ)・権五惇(クォン・オドン)・朴斗鎮(パク・トゥジン)などが自署した4・19(1960年4月19日。不正選挙に端を発したデモにより、当時の李承晩〈イ・スンマン〉大統領が下野した事件。四月革命)教授団デモの名簿、日韓基本条約に先駆けて作成された金鍾泌(キム・ジョンピル)・大平メモ…。それぞれの時代の曲がり角で韓国の運命を決定付けた文書が、姿を現した。1950年代にシラミ撲滅のため使われたDDTの噴霧器や、ドラム缶をたたいて伸ばし、車体を作った、韓国車としては初の「始発タクシー」(1950年代に運行したタクシーの一種。ジープを改造した車を使っていた)も来場者を出迎える。1965年に貯蓄奨励のために農協が作った貯金箱には「小銭を入れて黄牛(黄色の毛をした立派な雄牛)を買おう」というスローガンが刻まれている。
展示品の説明文を読むと、5・16(1961年5月16日。朴正熙〈パク・チョンヒ〉陸軍少将〈当時〉らによる軍事クーデター)は「軍事政変」と記されていた。10月維新(1972年10月に、当時の朴正煕〈パク・チョンヒ〉大統領が非常戒厳令を宣布したことを指す。後に憲法を改正し、軍事独裁体制を敷いた)については「民主主義が行方不明になった」と書かれている。60−80年代の反共主義の裏には「人権弾圧や拷問、思想の自由の剥奪という暗い影がつきまとっていた」とも記されている。焼身自殺した労働運動家の全泰壱(チョン・テイル)に象徴される産業化の暗部、維新反対や6月抗争(1987年6月に起こった民主化要求運動)といった民主化運動にも、少なからぬスペースを割いた。記念館を見て回った後「自分の支持していた主義・主張の歴史が粗末に扱われた」と残念に思う人もいるだろう。事実、そうやって互いにいがみあって生きてきたのが、韓国の歴史だ。残念な部分はある一方、それを改めていく過程もまた、韓国の新たな歴史になるだろう。
金泰翼(キム・テイク)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
>残念な部分はある
残念だらけだろう。
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