Re: 仁川チャイナタウン
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/04/21 18:47 投稿番号: [957 / 4504]
>日本人なら、本物のチャイナに行くけどなあ。
仁川はアジア大会の会場が決まったので、一儲けしようといつもの皮算用ですね。(笑)
こんなケバケバしい、テーマパークのようなチャイナタウンには誰も行かないでしょう。
これは、華僑を迫害した韓国の歴史の証明です。
------------------------ -
仁川市、アジア大会の経済効果18兆ウォンを期待
http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_detail.htm?No=27179
------------------------ -
韓国最大のチャイナタウン〜仁川市中区北城洞
(前略)
現在韓国には、2万6千人ほどの華僑がいるそうです。
ここで、韓国の華僑の歴史をふり返ってみましょう。
1930年代に山東省で飢饉が起こったころ、大勢の農民が渡し船に乗って仁川へと渡りました。財産も何も持たない農民たちは、港の周辺の空き地を耕して、なんとか暮らしを営み始めました。
1950年に韓国戦争が勃発すると、仁川は大混乱に陥ります。この時期、少しでもお金のある華僑は香港に逃れ、仁川の華僑村は廃墟と化しました。
1960年代末、朴正熙政権は韓国に住む外国人の財産登録制を実施しました。もともと土地の所有権を持たない華僑は、わずかながら耕した畑からも追い出され、この時期に台湾に渡ったり、アメリカやヨーロッパ、日本に移民した人も多かったそうです。
韓国にとどまった華僑は、韓国籍を持たないため就職の道も閉ざされていました。仕方なく彼らが始めたのが、食堂でした。今では韓国の食生活にすっかり定着したジャジャンミョンですが、これは港で働く労働者が手軽に食べられるようにと、仁川の華僑が作り出した料理だったのです。
中山学校の前の坂道を下った先に、「共和春」という中華料理店がありました。すでに店は閉まって久しく、古びた看板の文字が辛うじて読めるだけです。しかしかつてここは、華僑村で最も流行った店として、仁川華僑の歴史に刻まれた場所です。ここに博物館の作ろうという計画も立てられているそうです。
1993年に韓中国交が樹立した直後から、仁川市中区ではチャイナタウンの復興計画を積極的に推し進めました。まるで突貫工事のように進められた復興によって、チャイナタウンは強烈な赤色や金色でけばけばしく飾り立てられてしまい、昔ながらの風情がなくなってしまったという声も出ています。しかし復興が実現したからこそ、週末には大勢の観光客がここを訪れるようになり、街は活性化しています。商売目的でこの街に移り住む韓国人や、中国大陸から渡って来るニューカマーも急増し、仁川チャイナタウンは新しい歴史のページを開いたところです。
http://world.kbs.co.kr/japanese/town/town_events_detail.htm?No=2545
仁川はアジア大会の会場が決まったので、一儲けしようといつもの皮算用ですね。(笑)
こんなケバケバしい、テーマパークのようなチャイナタウンには誰も行かないでしょう。
これは、華僑を迫害した韓国の歴史の証明です。
------------------------ -
仁川市、アジア大会の経済効果18兆ウォンを期待
http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_detail.htm?No=27179
------------------------ -
韓国最大のチャイナタウン〜仁川市中区北城洞
(前略)
現在韓国には、2万6千人ほどの華僑がいるそうです。
ここで、韓国の華僑の歴史をふり返ってみましょう。
1930年代に山東省で飢饉が起こったころ、大勢の農民が渡し船に乗って仁川へと渡りました。財産も何も持たない農民たちは、港の周辺の空き地を耕して、なんとか暮らしを営み始めました。
1950年に韓国戦争が勃発すると、仁川は大混乱に陥ります。この時期、少しでもお金のある華僑は香港に逃れ、仁川の華僑村は廃墟と化しました。
1960年代末、朴正熙政権は韓国に住む外国人の財産登録制を実施しました。もともと土地の所有権を持たない華僑は、わずかながら耕した畑からも追い出され、この時期に台湾に渡ったり、アメリカやヨーロッパ、日本に移民した人も多かったそうです。
韓国にとどまった華僑は、韓国籍を持たないため就職の道も閉ざされていました。仕方なく彼らが始めたのが、食堂でした。今では韓国の食生活にすっかり定着したジャジャンミョンですが、これは港で働く労働者が手軽に食べられるようにと、仁川の華僑が作り出した料理だったのです。
中山学校の前の坂道を下った先に、「共和春」という中華料理店がありました。すでに店は閉まって久しく、古びた看板の文字が辛うじて読めるだけです。しかしかつてここは、華僑村で最も流行った店として、仁川華僑の歴史に刻まれた場所です。ここに博物館の作ろうという計画も立てられているそうです。
1993年に韓中国交が樹立した直後から、仁川市中区ではチャイナタウンの復興計画を積極的に推し進めました。まるで突貫工事のように進められた復興によって、チャイナタウンは強烈な赤色や金色でけばけばしく飾り立てられてしまい、昔ながらの風情がなくなってしまったという声も出ています。しかし復興が実現したからこそ、週末には大勢の観光客がここを訪れるようになり、街は活性化しています。商売目的でこの街に移り住む韓国人や、中国大陸から渡って来るニューカマーも急増し、仁川チャイナタウンは新しい歴史のページを開いたところです。
http://world.kbs.co.kr/japanese/town/town_events_detail.htm?No=2545
これは メッセージ 956 (jgeilsbandfreek さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/kl4z9qa1a6fndabaafa5aba5fmq8lbd8_1/957.html