5000年VS60年
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/08/12 22:39 投稿番号: [2551 / 4504]
記事入力 : 2008/08/12 12:06:59
【コラム】5000年VS60年
大韓民国が誕生したわずか60年前の時点でも、われわれには主権在民の概念さえなかった。そのような国が「キャンドル集会」のように、今や国民の一人一人が主権者であるかのように憲法第1条を口にし、「過剰主権」の世の中といえるほどに急成長した。実に大きな変化と言わざるを得ない。他国では数世紀をかけて通過してきたプロセスを、われわれはわずか60年余りで「封建体制の副産物にすぎなかった臣民から抜け出し、社会的能力を身に付けて自分の運命を自らが決め、主権者として決定を下す近代的概念を持つ国民へと新しく生まれ変わった」(キム・ヨンホ著『建国60年の再認識』)ということだ。
何がこのようなことを可能にしたのだろうか。多くの学者がさまざまな意見を提示しているが、われわれの発展のプロセスを一言で言えば、「中国と日本の影響下から抜け出し、米国を通じて民主主義を学んで世界へ飛び出すことができるようになったから」という点は否定できない。われわれは5000年の歴史を誇るが、その長い歳月のほとんどの期間においてわが国を押さえ付けてきたのは中国であり、近代以降にわれわれを抹殺の危機にまで追いやったのは日本だった。わが民族は彼らを一度も苦しめたことはないのに、彼らはわれわれを数千年も苦しめてきた。わが民族にとって恨と怨(えん)があるとすれば、それは中国と日本に対するものだ。
大韓民国建国から60年間で、われわれは中国と日本の影響から抜け出し、彼らと対等な決定を下せるほどに成長した。わが民族が5000年の歴史の中で初めて人間らしい生活を営むことができたのも、この60年だった。この短い期間は、価値的にはその前の5000年をも超えるものとなっているのだ。
そのような国とその周りの北東アジアで復古の機運が高まっている。北東アジアで60年前にあったような反動の兆候が再び見られ始めたのだ。金大中(キム・デジュン)政権での「わが民族同士」、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権での「北東アジアのバランサー」、さらに左派勢力による反米がそれらに衝動を与えてきた。その間に日本は独島(日本名竹島)を自国の領土と主張し始め、中国は東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする企図)などを通じ、自ら東アジアの本来の主人であると声を高めてきた。経済力を土台とした日本と中国による覇権争いが再び始まったのだ。日本がたとえ経済大国となったとしても、韓国としては「植民地としての思い出」を忘れるはずもなく、中国は経済力の成長とともに韓国に対する宗主国の郷愁を思い出さずにいられないようだ。その間に挟まれた韓半島(朝鮮半島)では、南北が自虐的な方向へと進んでいるような状況にある。
東アジアはなぜ欧州のように連合できないのか、という疑問はかなり以前からあった。しかし北東アジアは欧州連合のような方向には進むことはできない。欧州は2回の世界大戦を含め何百年にもわたり戦争を起こしながらも、過去に対する反省の上で手を握った。欧州の国々は消耗的な対立よりも連合を通じた世界化の競争を選択したのだ。しかし中国と日本は連合できないし、またそれを望んでもいない。それがアジアと欧州との違いなのかもしれない。韓国が中国や日本と対等な国力を持たない限り、彼らのエサとなるだけで「バランサー」にはなれない。それが5000年の歴史を通じて得た結論だ。
結局、大韓民国が選択すべき進路は、過去60年の延長線上から探し出すしかない。つまり中国と日本の間にとどまったりせず、果敢に外へ、世界へと出ていかなければならない。中国と日本は韓半島に対して領土的野心を持った国だ。時代は変わったとはいうが、中国や日本が領土に対する欲深さを捨てたという兆候はなく、まったく逆ともいえる状況だ。しかし米国は少なくとも韓国に対して領土的野心を持つ国ではない。米国と取り引きを行って損害が出るかどうかは、われわれ自身にかかっている。
今われわれは60年の圧縮された成長に伴うさまざまな副作用に悩んでいる。リーダーシップが薄っぺらで貧富の差や左右の対立が深刻だ。また世界化に見合った訓練も未熟であるなど、さまざまな問題がわれわれの足を引っ張っている。そのためなおさら、われわれはこのまま立ち止まることも振り返ることもできない。立ち止まればほかの国にすぐに追い越され、振り返れば中国と日本の覇権主義が待ち構えているだけだ。建国60年の教訓として得たものは、われわれが進んできた道は正しかったのであり、またそれ以外に別の道はないということだ。
金大中(キム・デジュン)顧問 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
bakamonga!!!!
【コラム】5000年VS60年
大韓民国が誕生したわずか60年前の時点でも、われわれには主権在民の概念さえなかった。そのような国が「キャンドル集会」のように、今や国民の一人一人が主権者であるかのように憲法第1条を口にし、「過剰主権」の世の中といえるほどに急成長した。実に大きな変化と言わざるを得ない。他国では数世紀をかけて通過してきたプロセスを、われわれはわずか60年余りで「封建体制の副産物にすぎなかった臣民から抜け出し、社会的能力を身に付けて自分の運命を自らが決め、主権者として決定を下す近代的概念を持つ国民へと新しく生まれ変わった」(キム・ヨンホ著『建国60年の再認識』)ということだ。
何がこのようなことを可能にしたのだろうか。多くの学者がさまざまな意見を提示しているが、われわれの発展のプロセスを一言で言えば、「中国と日本の影響下から抜け出し、米国を通じて民主主義を学んで世界へ飛び出すことができるようになったから」という点は否定できない。われわれは5000年の歴史を誇るが、その長い歳月のほとんどの期間においてわが国を押さえ付けてきたのは中国であり、近代以降にわれわれを抹殺の危機にまで追いやったのは日本だった。わが民族は彼らを一度も苦しめたことはないのに、彼らはわれわれを数千年も苦しめてきた。わが民族にとって恨と怨(えん)があるとすれば、それは中国と日本に対するものだ。
大韓民国建国から60年間で、われわれは中国と日本の影響から抜け出し、彼らと対等な決定を下せるほどに成長した。わが民族が5000年の歴史の中で初めて人間らしい生活を営むことができたのも、この60年だった。この短い期間は、価値的にはその前の5000年をも超えるものとなっているのだ。
そのような国とその周りの北東アジアで復古の機運が高まっている。北東アジアで60年前にあったような反動の兆候が再び見られ始めたのだ。金大中(キム・デジュン)政権での「わが民族同士」、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権での「北東アジアのバランサー」、さらに左派勢力による反米がそれらに衝動を与えてきた。その間に日本は独島(日本名竹島)を自国の領土と主張し始め、中国は東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする企図)などを通じ、自ら東アジアの本来の主人であると声を高めてきた。経済力を土台とした日本と中国による覇権争いが再び始まったのだ。日本がたとえ経済大国となったとしても、韓国としては「植民地としての思い出」を忘れるはずもなく、中国は経済力の成長とともに韓国に対する宗主国の郷愁を思い出さずにいられないようだ。その間に挟まれた韓半島(朝鮮半島)では、南北が自虐的な方向へと進んでいるような状況にある。
東アジアはなぜ欧州のように連合できないのか、という疑問はかなり以前からあった。しかし北東アジアは欧州連合のような方向には進むことはできない。欧州は2回の世界大戦を含め何百年にもわたり戦争を起こしながらも、過去に対する反省の上で手を握った。欧州の国々は消耗的な対立よりも連合を通じた世界化の競争を選択したのだ。しかし中国と日本は連合できないし、またそれを望んでもいない。それがアジアと欧州との違いなのかもしれない。韓国が中国や日本と対等な国力を持たない限り、彼らのエサとなるだけで「バランサー」にはなれない。それが5000年の歴史を通じて得た結論だ。
結局、大韓民国が選択すべき進路は、過去60年の延長線上から探し出すしかない。つまり中国と日本の間にとどまったりせず、果敢に外へ、世界へと出ていかなければならない。中国と日本は韓半島に対して領土的野心を持った国だ。時代は変わったとはいうが、中国や日本が領土に対する欲深さを捨てたという兆候はなく、まったく逆ともいえる状況だ。しかし米国は少なくとも韓国に対して領土的野心を持つ国ではない。米国と取り引きを行って損害が出るかどうかは、われわれ自身にかかっている。
今われわれは60年の圧縮された成長に伴うさまざまな副作用に悩んでいる。リーダーシップが薄っぺらで貧富の差や左右の対立が深刻だ。また世界化に見合った訓練も未熟であるなど、さまざまな問題がわれわれの足を引っ張っている。そのためなおさら、われわれはこのまま立ち止まることも振り返ることもできない。立ち止まればほかの国にすぐに追い越され、振り返れば中国と日本の覇権主義が待ち構えているだけだ。建国60年の教訓として得たものは、われわれが進んできた道は正しかったのであり、またそれ以外に別の道はないということだ。
金大中(キム・デジュン)顧問 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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