新幹会
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/03/06 16:38 投稿番号: [2105 / 4504]
聞いたことないけど、重要らしい。
(こういうパタ−ン、結構多い。(私が無知なだけ))
記事入力 : 2008/03/06 15:49:52
「新幹会の完全独立路線が民族独立運動の柱に」
梨花女子大シン・ヨンハ碩座教授、『新幹会の民族運動』出版
「新幹会は、韓国国内における民族独立運動の路線に混乱をもたらした自治論や内政参政権論を徹底して粉砕しました。そして、“完全独立”“絶対独立”の民族独立運動路線を確固たるものとして打ち立てたのです」
梨花女子大学梨花学術院のシン・ヨンハ碩座教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)が、新幹会の研究書、『新幹会の民族運動』(景仁文化社)を出版した。シン教授も諮問委員に名を連ねている韓国独立運動史編纂委員会(イ・マニョル委員長)が、独立記念館の韓国独立運動史研究所と共同で発行している『韓国独立運動の歴史』全60巻中の1冊だ。
韓国の代表的な社会学者にして独立運動史の権威であるシン教授が、全60巻の中で「新幹会」というテーマを選んで筆を執った理由は、新幹会が日本植民地支配下での民族運動において極めて重要な位置を占めているからだ。1927年2月から31年5月まで、4年3カ月にわたって続いた新幹会こそ、「日本帝国主義の植民地統治の残酷な弾圧の中にあって、韓民族の左右合作による国内民族協同戦線の最高機関として活動した組織」というわけだ。創立と解消だけに焦点を当ててきた既存の研究とは異なり、シン教授が今回執筆した本は、新幹会中央本部と各支部での活動の複雑な内容を詳細に描き出す。当時の新幹会の活動を詳しく報道した本紙のマイクロフィルム資料が、大きな助けとなった。
シン教授は、もし当時の韓民族が「内政自治」路線を選んでいたらどうなっていただろうか、と反問した。「いわゆる“大日本帝国”内に韓半島(朝鮮半島)“自治”地域でも作って安住しよう、という主張は耳寄りな話にも聞こえますが、日帝が敗北した場合にも、形態はどうあれ、日本の一部となる構図を選択する羽目になっていたはずです」。それを防いだのがすなわち新幹会だった、と説明する。
新幹会はまた、日帝の弾圧から韓国国内のあらゆる民族運動や社会運動を守る柱や屏風の役割も果たした。「1926年の6・10万歳事件当時とは異なり、29年の光州民主化運動(光州事件)のときには新幹会の全国組織が形成されていました。その結果、全国的な独立運動に拡大・発展することができたのです」。政府がなかったこの時代、新幹会が事実上の政府の役割を果たした例もある。1927年12月、日帝と結託した満州軍閥が、中国国籍のない韓国人を追放しようとするや、新幹会は「在満同胞擁護運動」を起こし、同胞らを満州に定着させるのに大きな成果を挙げた。同書でシン教授は、「新幹会の発起には本紙を中心として各界の人々が参加し、地域の代表も本紙と間接的に関係ある人物が多かった。新幹会発足のときから、本紙は新幹会の代弁紙・機関紙の役割を果たしてきた」と記した。
1931年の新幹会解消には、日帝の妨害工作のほかにも、共産党の国際組織であるコミンテルンやプロフィンテルンの指示が直接的な要因として作用した、とシン教授は語る。「彼らスターリン主義者が、弱小民族解放運動を指導する能力を持たない小児病的な教条主義者・冒険主義者だったことをはっきりと示しています。当時の韓国の共産主義者が、民族的自負心を発揮してこれらの指示を堂々と拒否できなかったのは残念です」
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
ざっと読むと、またもや「脳内お花畑」のような気が。
(こういうパタ−ン、結構多い。(私が無知なだけ))
記事入力 : 2008/03/06 15:49:52
「新幹会の完全独立路線が民族独立運動の柱に」
梨花女子大シン・ヨンハ碩座教授、『新幹会の民族運動』出版
「新幹会は、韓国国内における民族独立運動の路線に混乱をもたらした自治論や内政参政権論を徹底して粉砕しました。そして、“完全独立”“絶対独立”の民族独立運動路線を確固たるものとして打ち立てたのです」
梨花女子大学梨花学術院のシン・ヨンハ碩座教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)が、新幹会の研究書、『新幹会の民族運動』(景仁文化社)を出版した。シン教授も諮問委員に名を連ねている韓国独立運動史編纂委員会(イ・マニョル委員長)が、独立記念館の韓国独立運動史研究所と共同で発行している『韓国独立運動の歴史』全60巻中の1冊だ。
韓国の代表的な社会学者にして独立運動史の権威であるシン教授が、全60巻の中で「新幹会」というテーマを選んで筆を執った理由は、新幹会が日本植民地支配下での民族運動において極めて重要な位置を占めているからだ。1927年2月から31年5月まで、4年3カ月にわたって続いた新幹会こそ、「日本帝国主義の植民地統治の残酷な弾圧の中にあって、韓民族の左右合作による国内民族協同戦線の最高機関として活動した組織」というわけだ。創立と解消だけに焦点を当ててきた既存の研究とは異なり、シン教授が今回執筆した本は、新幹会中央本部と各支部での活動の複雑な内容を詳細に描き出す。当時の新幹会の活動を詳しく報道した本紙のマイクロフィルム資料が、大きな助けとなった。
シン教授は、もし当時の韓民族が「内政自治」路線を選んでいたらどうなっていただろうか、と反問した。「いわゆる“大日本帝国”内に韓半島(朝鮮半島)“自治”地域でも作って安住しよう、という主張は耳寄りな話にも聞こえますが、日帝が敗北した場合にも、形態はどうあれ、日本の一部となる構図を選択する羽目になっていたはずです」。それを防いだのがすなわち新幹会だった、と説明する。
新幹会はまた、日帝の弾圧から韓国国内のあらゆる民族運動や社会運動を守る柱や屏風の役割も果たした。「1926年の6・10万歳事件当時とは異なり、29年の光州民主化運動(光州事件)のときには新幹会の全国組織が形成されていました。その結果、全国的な独立運動に拡大・発展することができたのです」。政府がなかったこの時代、新幹会が事実上の政府の役割を果たした例もある。1927年12月、日帝と結託した満州軍閥が、中国国籍のない韓国人を追放しようとするや、新幹会は「在満同胞擁護運動」を起こし、同胞らを満州に定着させるのに大きな成果を挙げた。同書でシン教授は、「新幹会の発起には本紙を中心として各界の人々が参加し、地域の代表も本紙と間接的に関係ある人物が多かった。新幹会発足のときから、本紙は新幹会の代弁紙・機関紙の役割を果たしてきた」と記した。
1931年の新幹会解消には、日帝の妨害工作のほかにも、共産党の国際組織であるコミンテルンやプロフィンテルンの指示が直接的な要因として作用した、とシン教授は語る。「彼らスターリン主義者が、弱小民族解放運動を指導する能力を持たない小児病的な教条主義者・冒険主義者だったことをはっきりと示しています。当時の韓国の共産主義者が、民族的自負心を発揮してこれらの指示を堂々と拒否できなかったのは残念です」
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
ざっと読むと、またもや「脳内お花畑」のような気が。
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