鄭成功氏
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/07 08:23 投稿番号: [1878 / 4504]
台湾・鄭成功
初の漢民族統治たたえる
明から清へと変わる17世紀の中国大陸で、清軍と戦った鄭成功は、明の王室の姓「朱」を授けられたことから「国姓爺(こくせんや)」と呼ばれ、日本では近松門左衛門の浄瑠璃作品で知られる。西欧列強のアジア進出の時代にオランダ軍と戦い、台湾で初めての漢民族による政権を樹立したのも、母親が日本人というこの人物である。
明の復興がかなわなかった鄭成功が1661年4月に台湾へ上陸した地点とされ、政権の拠点を置いた台湾南部の台南市にはゆかりの施設が多い。
市中心部に近い「延平郡王祠(し)」は観光スポットでもあり、中国語、英語に加えて日本語で、その人生や業績の解説が掲示されている。
1624年、貿易関係に従事していた中国・福建出身の父親と日本人女性との間に長崎・平戸で生まれた。後に福建へ渡り、海上の武装貿易集団を率いて明朝を支援した父親の後を継ぐように清軍と戦った。台湾に来た後は9カ月に及ぶ戦闘を経て、38年間のオランダによる台湾統治を終わらせ、1662年に亡くなった−。
この「祠」は鄭成功の死後、その遺徳をしのぶために地元の人が建てた「開山王廟(びょう)」が始まり。その後、清が1875年に「延平郡王祠」として整備、鄭成功にこの地域の王としての地位を認めることになった。
異なる王朝から“官位”を授けられ、日本統治時代も日本人の血を引く歴史的人物として、戦後の国民党時代は「反清復明」の先駆けとして尊重されてきた鄭成功。「祠」の紹介文は「台湾の歴史と文化の発展に計り知れない影響を与えた」と強調している。
(台南で、野崎雅敏、写真も)
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