もうひとつの11月14日
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2007/11/14 09:00 投稿番号: [1479 / 4504]
【産経抄】11月14日
2007.11.14 02:39
このニュースのトピックス:産経抄
今では信じられないことだが、きのう未明に急逝した鉄腕・稲尾和久氏は、高校時代は無名の選手で、「バッティング投手」として西鉄に入団した。口の悪い先輩からは「手動式練習機」と言われながらキャンプで黙々と主力打者相手に練習球を投げ続けるうちに周囲の見る目が変わった。
▼「こいつはやれます」と先輩の豊田泰光氏らが、名将・三原脩監督に進言し、ほどなく主戦投手に引き上げられた。けんかっ早く、酒好き女性好きのくせ者が多かったという野武士集団は、風通しの良い組織でもあった。
▼それからの稲尾伝説は、くどくどと書く必要もあるまい。昭和33年の日本シリーズでは、7試合のうち6試合に登板し、「神様、仏様、稲尾様」とあがめられた。昭和36年には1シーズン42勝という大記録を打ち立てる。エースでも1週間に1度程度しかマウンドに立たない今の生ぬるいプロ野球ではとても考えられない。
▼何よりも偉かったのは、酷使によって選手生命が短くなったにもかかわらず、恨み言一つ言わなかったことだ。西鉄の黄金時代をともに築いた中西太氏によると、「いい体に生んでくれた親に感謝したい」とよく口にしていたという。
▼稲尾氏は、勤勉で感謝の心を常に忘れず、誠実に生きたかつての日本人の典型だった。だが、こうした人々がどんどん退場し、いずれ「絶滅危惧(きぐ)種」になってしまう気がするのは小欄だけだろうか。
▼病人を世話するのが仕事の病院職員が、事情はあるにせよ全盲の患者を公園に置き去りにした事件は、日本人の心の荒廃が、抜き差しならぬところまできたことを物語る。道徳という心棒がない戦後教育を今すぐ抜本的に変えなければ、この国はいずれ内部から崩壊してしまう。
前にアンパンマンが「南朝鮮ではエ−ス同士は投げ合わない」と語っていた。
個人的に言うけど、ライバルは杉浦だったんだろうなあ・・・
これは メッセージ 1478 (jgeilsbandfreek さん)への返信です.
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