◆南朝鮮 失敗事例集
投稿者: bakajgeilsbandfreek 投稿日時: 2007/12/27 00:52 投稿番号: [1547 / 4034]
Q
現在藤原という性の人たちは、鎌足を祖先とする藤原氏の末裔ではないと聞きました。九条家とかが末裔らしいですが、実際のところどうなんでしょうか?
A
結論から言えば、藤原氏一族であっても鎌倉期頃にはすでに「藤原」と名乗ることはなくなっていますので、現在「藤原」と名乗る人が藤原氏一族であることは考えられません。
藤原氏は、737年に鎌足の孫にあたる武智麻呂、房前、宇合、麻呂の四兄弟がそれぞれ南家、北家、式家、京家の四家に分かれ、時代を経て北家だけが栄えていきます。
北家は、11世紀に長男の基実が【近衛】、次男の基房が【松殿】、三男の兼実が【九条】の苗字を名乗るようになり、以降は近衛と九条の両家が摂関家(この両家しか摂政・関白にはなれない)として栄えていきます(松殿家は断絶を繰り返すようになってしまったため、摂関家には数えません)として栄えます。
後に、近衛家から分かれて【鷹司】、九条家から分かれて【一条】と【二条】の各家が独立し、この5つの摂関家が明治まで摂政・関白を独占します(途中で、豊臣秀吉・秀次の例外あり)。
他にも、三条、花山院、徳大寺、西園寺、醍醐、嵯峨、姉小路、小倉、山科、冷泉、などの何十もの苗字が藤原姓から分かれていますし、他にも源という姓からは久我、広幡、中院、綾小路、白川、大原、岩倉などの苗字に分かれています。
さて、藤原というのは「姓」で、近衛や九条は「苗字」になります。
簡単にいうと「姓」は本来は天皇から与えられるもので、「苗字」というのはその姓を持つ氏族の中で、どの家の系統かを示すためにつけたものを言います。
姓でいう場合は姓と名の間に「の」を挟んで発音します。
藤原、大伴、源、平、清原、安倍などは姓ですね。
時代を経るにつれて、同じ姓を持っていても血統が分かれ長い時間が経過してしまってくると、もはや親戚とも血縁ともいえない状態になってきます。
そこで、九条家や近衛家のように、それぞれが苗字を名乗るようになり、以後は公式文書以外では姓は名乗ることがなくなります。
このように貴族の場合は、邸宅の場所や母方の実家の所在地を名乗ります。
これは一夫多妻の中で、兄弟の母親がみんな違うというケースが多く、子供は母方の実家で育てられるために母方の実家の所在地を名乗るのが分かりやすかったんでしょう。
今でも親戚の人を「名古屋の伯父さん」とか「博多の叔母さん」と呼んだりしますよね。それと同じ感覚です。
また、武家の場合も、元をたどれば源や平などの姓に行き着くケースが多く(例えば、足利、新田、武田、島津、明智などの苗字は元は源という姓ですし、北条や織田は元は平という姓です)、これも貴族のケースと同じように姓ではなく苗字を名乗ることが一般的です。
ただ、武家の場合は、武力でその地域の支配権を確立しているので、その領有の根拠を誇示し、伝統・血統を示すためにその地域の地名を苗字とすることが多かったようです。
家康は、元は松平という苗字でしたが、これは三河国の松平郷の豪族だったからですが、出世するにつれて徳川という源氏の流れを汲む苗字の系図をどこからか引っ張り出してきてくっ付けてしまいました。
徳川の苗字を名乗った段階で、家康の姓は源となります(要するに、征夷大将軍という地位に就くために『由緒ある源氏の流れを汲む血統である』と名乗りたかったわけです)。
ですから家康は、公式文書では【源朝臣徳川家康】と署名しましたし、室町幕府将軍の足利家も公式文書では【源義満】などと署名しています。
現在藤原という性の人たちは、鎌足を祖先とする藤原氏の末裔ではないと聞きました。九条家とかが末裔らしいですが、実際のところどうなんでしょうか?
A
結論から言えば、藤原氏一族であっても鎌倉期頃にはすでに「藤原」と名乗ることはなくなっていますので、現在「藤原」と名乗る人が藤原氏一族であることは考えられません。
藤原氏は、737年に鎌足の孫にあたる武智麻呂、房前、宇合、麻呂の四兄弟がそれぞれ南家、北家、式家、京家の四家に分かれ、時代を経て北家だけが栄えていきます。
北家は、11世紀に長男の基実が【近衛】、次男の基房が【松殿】、三男の兼実が【九条】の苗字を名乗るようになり、以降は近衛と九条の両家が摂関家(この両家しか摂政・関白にはなれない)として栄えていきます(松殿家は断絶を繰り返すようになってしまったため、摂関家には数えません)として栄えます。
後に、近衛家から分かれて【鷹司】、九条家から分かれて【一条】と【二条】の各家が独立し、この5つの摂関家が明治まで摂政・関白を独占します(途中で、豊臣秀吉・秀次の例外あり)。
他にも、三条、花山院、徳大寺、西園寺、醍醐、嵯峨、姉小路、小倉、山科、冷泉、などの何十もの苗字が藤原姓から分かれていますし、他にも源という姓からは久我、広幡、中院、綾小路、白川、大原、岩倉などの苗字に分かれています。
さて、藤原というのは「姓」で、近衛や九条は「苗字」になります。
簡単にいうと「姓」は本来は天皇から与えられるもので、「苗字」というのはその姓を持つ氏族の中で、どの家の系統かを示すためにつけたものを言います。
姓でいう場合は姓と名の間に「の」を挟んで発音します。
藤原、大伴、源、平、清原、安倍などは姓ですね。
時代を経るにつれて、同じ姓を持っていても血統が分かれ長い時間が経過してしまってくると、もはや親戚とも血縁ともいえない状態になってきます。
そこで、九条家や近衛家のように、それぞれが苗字を名乗るようになり、以後は公式文書以外では姓は名乗ることがなくなります。
このように貴族の場合は、邸宅の場所や母方の実家の所在地を名乗ります。
これは一夫多妻の中で、兄弟の母親がみんな違うというケースが多く、子供は母方の実家で育てられるために母方の実家の所在地を名乗るのが分かりやすかったんでしょう。
今でも親戚の人を「名古屋の伯父さん」とか「博多の叔母さん」と呼んだりしますよね。それと同じ感覚です。
また、武家の場合も、元をたどれば源や平などの姓に行き着くケースが多く(例えば、足利、新田、武田、島津、明智などの苗字は元は源という姓ですし、北条や織田は元は平という姓です)、これも貴族のケースと同じように姓ではなく苗字を名乗ることが一般的です。
ただ、武家の場合は、武力でその地域の支配権を確立しているので、その領有の根拠を誇示し、伝統・血統を示すためにその地域の地名を苗字とすることが多かったようです。
家康は、元は松平という苗字でしたが、これは三河国の松平郷の豪族だったからですが、出世するにつれて徳川という源氏の流れを汲む苗字の系図をどこからか引っ張り出してきてくっ付けてしまいました。
徳川の苗字を名乗った段階で、家康の姓は源となります(要するに、征夷大将軍という地位に就くために『由緒ある源氏の流れを汲む血統である』と名乗りたかったわけです)。
ですから家康は、公式文書では【源朝臣徳川家康】と署名しましたし、室町幕府将軍の足利家も公式文書では【源義満】などと署名しています。
これは メッセージ 1 (fujisan_ga_kirei さん)への返信です.
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