南朝鮮 失敗事例集

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亀甲船を探せ

投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2007/02/01 19:54 投稿番号: [145 / 4034]
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/01/20070201000070.html

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/01/20070201000070.html


「亀甲(きっこう)船探査」が本格化する。

  慶尚南道は1日午後2時に道庁道民ホールに各界の人物らを招き、「亀甲船を探せ」推進委員会発足式を開催し、「亀甲船探査」に本格的に突入する。

  亀甲船探査は2009年末まで3年間にわたって進められ、慶尚南道と海軍士官学校、三星重工業や大宇造船海洋などの造船4社、慶尚南道発展研究院の4者共同で推進する。

  このため推進委員会発足式では、この4者の間で協約書を締結する。海軍士官学校は、1989年から進めてきた李忠武公海戦遺物発掘事業と関連する各種資料や情報を提供し、造船4社は発掘・引き揚げに必要な資金と技術を支援する。全体の事業費は12億ウォン(約1億5400万円)程度と見積もられている。

  慶尚南道は亀甲船探査を成功させるため、大規模な推進委員会を構成した。推進委員会は道知事や道議会議長、地域の大学総長、造船業者代表、基礎自治団体長(日本の市町村長に相当)、韓国海洋研究院院長など、42人の推進委員と30人の実務委員で構成されている。

  推進委員会では発足式の終了後、直ちに本格的な探査計画の樹立に乗り出す。海軍士官学校の李敏雄(イ・ミンウン)教授など、7人の歴史考証チームが主軸となって各界の専門家の意見を取りまとめ、従来の探査結果などを綿密に分析、探査地域を最終決定する。

  今のところ探査地域は選定されていないが、1597年に朝鮮水軍が大敗した漆川梁海戦(唐島〈巨済島〉海戦)が行われた巨済市七川島を中心に、長木面長門浦・旧永・加助島一円、統営市光道面秋原浦一円などが候補地域として挙げられている。

  慶尚南道は、探査地域の選定が終了次第、朝鮮水軍の鎮魂祭などの探査出航式を執り行い、本格的な探査活動に突入する。探査出航式は今年下半期ごろになるとみられている。

  「亀甲(きっこう)船探査」は、2011年まで計1400億ウォン(約180億円)余りの事業費を投入する「李舜臣(イ・スンシン)プロジェクト」の一環として行われ、慶尚南道が意欲的に取り組んでいる事業だ。もし成功した場合、世界的な文化遺産となるだけでなく、わが先祖らの偉大さを全世界に誇示することができる点も魅力的だ。

  なお、「李舜臣プロジェクト」とは、李舜臣将軍の業績を国際的に広める事業や、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)関連の遺跡地整備および復元事業などで、李舜臣将軍を国家ブランド化することを目的としている。

  ところで学界では、李舜臣将軍が(兵卒に格下げされ)白衣従軍していた1597年陰暦7月16日、元均(ウォン・ギュン)が率いていた朝鮮水軍が巨済・漆川梁で倭軍に大敗した際に、亀甲船も沈没したものと推定している。

  また、亀甲船の探査および引き揚げに向けた努力は、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領時代の1973年から78年にかけても行われ、文化公報部(現在の文化観光部)が探査作業を担当したが、何ら成果なく終了した。以降、海軍が探査に乗り出し、94年に全羅南道麗川の白島近海から勝字銃筒4点、別勝字銃筒9 点、仏狼機子砲1点など、計25点の貴重な遺物を引き揚げたが、亀甲船を見つけることはできなかった。

  その後の亀甲船探査は、98年に28人で構成された海底遺物探査班が再び活動を始めたが、これといった実績を上げられず、2003年に10人に減員され、四半期に1回(1回当たり2週間)の探査活動を行っている。

  「1%の可能性でもあるならば挑戦する」という慶尚南道の「意欲」に対し、亀甲船探査がどのような成果を収めることができるのか注目される。


オロカ・・・
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