>アジアの開放というものは
投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/08/21 13:44 投稿番号: [9189 / 60270]
横レスですが。
>大東亜共栄圏は国民を動かす詭弁であったことは明らかです。
自存自衛のための戦争というスローガンだけでは不十分だから、アジアの開放を入れて補強したと言うことなのかな。国民は自存自衛のスローガンだけでは動かないので、それにアジアの開放を追加したということなのかな。
アジアの開放というのは当時の指導者も「方便」としてではなく、「目的」として意識していたと思うよ。将校クラスの人の話だけど、自分が軍人になったのはアジアの開放が夢だったから、といったひともいたよ。
インパール作戦はインド独立軍のチャンドラ・ボースに要請され、それに応えたという面があるよ。昭和18年初頭大東亜会議のために日本に来たボースは東条に、何処かの島ではなく、印度国内にインド臨時政府の領地が欲しいと言われ、包囲突破の作戦のひとつとして、インパール作戦を考えた。
当時ビルマの日本軍はインド洋をのぞいた三方を圧倒的に上回る敵軍で包囲されていた。むしろこっちからうってでたほうが戦局が有利に展開するのではと思った。このふたつが東条の頭のなかで合致した。
ある意味インパール作戦はボースへの義理で始めた作戦とも言える。
日本がアジア開放を考えないなら、日本軍に刃向かうおそれのあったビルマ独立軍を南機関が設立・養成したり、インドネシアで日本軍の系列に属さない郷土防衛隊(PETA)を作ったりしないと思うよ。実際アアウンサンの軍は戦争末期に日本軍にたいして反旗をひるがえしているし。
もしインドネシアの要員が欲しければ兵補の制度だけで十分なはず。このPETAと兵補の要員が後の対オランダ独立戦争の中核になる。よく知られているように、2,000名の元日本兵もそれに参加したけど。これら日本兵の参加なくして、インドネシアの独立はなかった。
アウンサンの元部下が言っていることにこんな言葉があるよ。
「日本軍がやって来たあとのビルマはもはや以前のビルマではなかった。日本が敗れたあとも、武器を持ってイギリスとた戦うことを知ったビルマになったのだ」
元PETAのある団長も言っているよ。やってきた日本軍の将校に、独立は自分たちの手で勝ち取るものだ、といわれたとき、独立なんて夢のまた夢だと思っていた。
これらの東南アジア諸国の精神的な変遷は日本の方便的なスローガンの「結果的産物」なのかな。本心でそう日本が思っていなければ、ありえないことだと思う。
本当の難しい問題はむしろ日本が勝つか、もしくは負けずに和平をしたとき、東南アジアをどう扱っていたかだね。これについては少し考えがあるが、また。
これは メッセージ 9177 (seirin_hantou さん)への返信です.
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