日本は何故、反省しないのか?

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朝鮮民族にとって”恥部”と思われる歴史

投稿者: specialized_allez_04 投稿日時: 2007/11/11 04:33 投稿番号: [59320 / 60270]
1897年、日清戦争(1894年-1895年)の清の敗北を受けて締結された下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、朝鮮国から大韓帝国と国号を改める。
1904年8月23日、第一次日韓協約を結ぶ。
1905年7月、高宗のロシア帝国への密使が発覚する。
1905年7月29日、桂・タフト協定。韓国には日本が、フィリピンにはアメリカ合衆国が影響力を持つと、相互に認め合う。
1905年11月17日、第二次日韓協約を結ぶ。外交権を失い、日本の保護国となる。
1906年、韓国統監府設置。
1907年、国債報償運動。ハーグ密使事件。高宗が退位し純宗が即位。第三次日韓協約。内政権が日本の管轄下に入る。韓国軍の解散が定められる。
1909年、韓国統監府初代統監伊藤博文がハルビン駅にて安重根により暗殺される。朝鮮と清の国境が定まる(間島協約)。

この辺りの歴史は韓国、朝鮮が覆い隠したい歴史だろう。日清戦争での日本の勝利は朝鮮国にとって清の冊封体制から離脱できた喜ばしい歴史だろうが、1905年7月に行われた『桂・タフト協定』では
* 日本は、アメリカの植民地となっていたフィリピンに対して野心のないことを表明する。
* 極東の平和は、日本、アメリカ、イギリス3国による事実上の同盟によって守られるべきである。
* アメリカは、日本の韓国における指導的地位を認める。
この3点が協議されている。(詳しくはWipkipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%88%E5%8D%94%E5%AE%9A

つまり、1905年11月に第二次日韓協約を締結後、外交権を失い日本の保護国となった後、併合された歴史は「アメリカとの協議に基づいて採られた政策」なのだ。この協定は、現代の大韓民国においては韓国の生存および主権問題に関して、アメリカがいかに信頼することができない国であるかの実例としてしばしば用いられる。 韓国の歴史家には、日本によって韓国が併合された直接の原因であるとされており、教科書にもそのように記述されている。

つまり、日韓併合の背景にはアメリカが強く絡んでおり、大国アメリカに牙を向けることができない韓国、北朝鮮は大戦で敗北した日本にご都合よく責任を負わせているのだ。
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