[日本で見る日本] 日本人の謝りと責任
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/08/27 17:33 投稿番号: [59134 / 60270]
林一圭(イム・イルギュ、文学博士・広島韓国教育院院長)
日本で生活してみると日本人たちの個別行動と群行動に相当な隔りがあると感じることが多い。
個人的に会う日本人たちはすべて優しくて親切な人々だ。むしろ度が外れた親切が虚飾的に見えて
「過恭非礼」(恭しすぎて却って失礼になること)を感じる時がたまにある。例えば電車や大衆交通
を利用する時や人々で混みあうデパートなどで、たまに少しでもぶつかれば、大部分の日本人たちは
びっくりしたように「申し訳ありません!」を連発してしきりに頭を下げる。その態度はまるで死刑
になるような罪を犯したかのように見えて謝罪を受ける方がむしろきまり悪い程だ。
このような日本人たちが自分たちの国家や団体が行った過ちについては、めったに謝ったり反省する
心がないという正反対の態度に驚かされる。むしろ、反省や謝罪よりはたいてい歪曲や言い訳に一貫
する場合を彼らの歴史認識でよく目撃するようになる。7月30日米議会下院で日本軍慰安婦(性奴隷)強
制動員決議案を採択するまでの過程で、日本人たちの見せた態度は、このような彼らの歴史認識を端
的に現わした極めて小さな象徴に過ぎないだろう。
(中略=米議会決議の経緯と安倍首相の行動、議員らによる新聞広告)
このような認識は政治家たちだけに限ったものではない。大部分の一般の人たちも日常生活で会話を
交わしてみると政治家と認識を同じくすることが分かる。知識人を代表する大学教授たちの中にも日
本の戦争責任について歪曲された彼らだけで通じる見解を打ち明ける人々が多い。特に‘知韓派’や
‘親韓派’として知られた知識人の中には、日本の戦争責任に対して個人と国家を明らかに区別して
「国家が行った犯罪を理由に個人を罪人として追いつめることは誤っている」という詭弁を並べる場
合をよく見る。
彼らは「私が日本で生まれる以前に私たちの先祖が行った犯罪で、国家が主動して成り立った犯罪だ
から、私個人に日本人の過去を聞いて責任を負わせようとするのは不当な考えだ」とか、むしろ「あ
なたのように韓国で誤った反日教育を受けて来た人々が、日本の歴史教育が歪曲されているとか、日
本人が過去を反省せず、謝るつもりもないということを攻撃することは、本末が転倒した事で、今を
生きる現在の日本人個人には謝罪する責任がない。」と言いながら自分の合理化に没頭する。
しかし、果して彼らの主張どおり日本人ひとりひとりには過去に対する責任がないのか?もちろん731
部隊の残酷な生体実験や強制徴用、慰安婦問題、南京事件、創氏改名を通じた民族抹殺政策などが現
在の日本人たちによって行われた犯罪行為ではないことは自明だ。しかし、そうだとして自分たちに
責任がないという詭弁を並べることは罪と責任さえ区別できない愚かな考えにすぎない。たとえ、現
在の日本人たちに罪がない、と言っても彼らには明らかな責任があるのだ。今の日本の為政者たちが
日本軍慰安婦問題に対して自ら否認して‘歪曲’する行為を支持したのは日本人ひとりひとりだから、
結局その責任は、現在の日本人ひとりひとりに帰結されるからだ。
慶南新聞
日本で生活してみると日本人たちの個別行動と群行動に相当な隔りがあると感じることが多い。
個人的に会う日本人たちはすべて優しくて親切な人々だ。むしろ度が外れた親切が虚飾的に見えて
「過恭非礼」(恭しすぎて却って失礼になること)を感じる時がたまにある。例えば電車や大衆交通
を利用する時や人々で混みあうデパートなどで、たまに少しでもぶつかれば、大部分の日本人たちは
びっくりしたように「申し訳ありません!」を連発してしきりに頭を下げる。その態度はまるで死刑
になるような罪を犯したかのように見えて謝罪を受ける方がむしろきまり悪い程だ。
このような日本人たちが自分たちの国家や団体が行った過ちについては、めったに謝ったり反省する
心がないという正反対の態度に驚かされる。むしろ、反省や謝罪よりはたいてい歪曲や言い訳に一貫
する場合を彼らの歴史認識でよく目撃するようになる。7月30日米議会下院で日本軍慰安婦(性奴隷)強
制動員決議案を採択するまでの過程で、日本人たちの見せた態度は、このような彼らの歴史認識を端
的に現わした極めて小さな象徴に過ぎないだろう。
(中略=米議会決議の経緯と安倍首相の行動、議員らによる新聞広告)
このような認識は政治家たちだけに限ったものではない。大部分の一般の人たちも日常生活で会話を
交わしてみると政治家と認識を同じくすることが分かる。知識人を代表する大学教授たちの中にも日
本の戦争責任について歪曲された彼らだけで通じる見解を打ち明ける人々が多い。特に‘知韓派’や
‘親韓派’として知られた知識人の中には、日本の戦争責任に対して個人と国家を明らかに区別して
「国家が行った犯罪を理由に個人を罪人として追いつめることは誤っている」という詭弁を並べる場
合をよく見る。
彼らは「私が日本で生まれる以前に私たちの先祖が行った犯罪で、国家が主動して成り立った犯罪だ
から、私個人に日本人の過去を聞いて責任を負わせようとするのは不当な考えだ」とか、むしろ「あ
なたのように韓国で誤った反日教育を受けて来た人々が、日本の歴史教育が歪曲されているとか、日
本人が過去を反省せず、謝るつもりもないということを攻撃することは、本末が転倒した事で、今を
生きる現在の日本人個人には謝罪する責任がない。」と言いながら自分の合理化に没頭する。
しかし、果して彼らの主張どおり日本人ひとりひとりには過去に対する責任がないのか?もちろん731
部隊の残酷な生体実験や強制徴用、慰安婦問題、南京事件、創氏改名を通じた民族抹殺政策などが現
在の日本人たちによって行われた犯罪行為ではないことは自明だ。しかし、そうだとして自分たちに
責任がないという詭弁を並べることは罪と責任さえ区別できない愚かな考えにすぎない。たとえ、現
在の日本人たちに罪がない、と言っても彼らには明らかな責任があるのだ。今の日本の為政者たちが
日本軍慰安婦問題に対して自ら否認して‘歪曲’する行為を支持したのは日本人ひとりひとりだから、
結局その責任は、現在の日本人ひとりひとりに帰結されるからだ。
慶南新聞