日本は何故、反省しないのか?

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Re: 沖縄戦・集団自決、「軍の関与」確信=

投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/07/04 17:48 投稿番号: [58978 / 60270]
>住民には、防衛隊員が「手りゅう弾で自決しろ」って言って渡されたのか?

沖縄戦で集団自決が確認されているのは以下の5件である。
渡嘉敷島(300余人)、座間味島(172人)、慶留間島(53人)、伊江島(120人)、沖縄本島チビチリガマ(83人)

この5箇所に士官学校卒の職業軍人24、5歳の若年隊長、座間味島の梅沢少佐と渡嘉敷島の赤松大尉しかしない。この2人の冤罪が立証された。残りは学徒少年兵、現地召集兵しかいない。慶留間島、伊江島においては島の予備役召集兵と学徒少年兵だけである。また、チビチリガマには軍人はいなかった。壕の入口に米軍が菓子を置いて取りに出て来た2人の子供を射殺した事で集団自決が起こった。

個別自決においては、朝鮮人将校の中に琉球語が理解出来ずスパイとして自決の強要や殺害した証拠が数例ある。
住民に手榴弾を渡したのは、物資が不足していた沖縄戦において内地招集者は天皇陛下から預かった武器を渡す物や住民に自決を迫る者はいなくほとんどが親類縁者、知人など地元召集者だった。援護法の戦災者年金の為に軍命令を捏造したと証言した座間味島で上陸前の米軍偵察部隊が2人の島の女をボートに拉致し裏海岸で強姦した後に放置した事件が起こる。元女子青年団長宮城初枝の証言から村の民間守備隊の幹部5人で梅沢少佐に住民に手榴弾を配る様に要請したが「武器は渡せない、生き延びてくれ」と帰された。その後、村の助役が梅沢隊長を無視して自決命令を村命で出す。

沖縄戦時の日本軍は、正規軍は南方に送られ皆無であり、ハルピンで編成された朝鮮人中心の部隊が主力で、後は現地沖縄での召集兵と内地からは学徒少年兵だった。その中には、沖縄の中高校生の学徒隊も含まれた。ひめゆり学徒隊など女子部隊まで作られた。

沖縄戦参加
日本軍総数116,400人
陸軍   86,400人(現地召集20,000人、内地予備役召集20,000人、内地学徒少年20,000人、朝鮮軍人10,000人)
海軍陸戦隊   約10,000人弱(予科練学徒兵16〜18歳が主力)
沖縄学徒隊   20,000人(女子学徒隊も含む)

当時、本島南部の大里村(現南城市)に住んでいた仲程さんは、戦火が迫った5月28日、母カマさん(49)と13歳、10歳の弟、そしておじ、おばら計13人で南へと避難を始めた。6月19日、隠れていた糸満市真栄里のガマ(壕(ごう))に米軍の戦車が迫った。
  沖縄守備軍が現地で召集した防衛隊から逃げてきたおじが言った。「アメリカーにやられるより、自分で死んだ方がまし」。手投げ弾を持っていた。それを見たカマさんがおじの手に取りすがった。
  「いくら何でも生きている子供たちをなぜ殺せるか。まず待ちなさい」。子を持つ母親の訴えにおじは思いとどまった。

4月1日より沖縄本島中部西海岸に連合軍が上陸を開始する。
米軍は野戦病院を次々と占領する中で、某野戦病院では看護婦や重傷患者の全ての女性が強姦された。10ヶ月後の翌1月から混血児を出産が増える。ある少女は見舞に来た父親の目の前で強姦された。
米須第3外科壕(現在のひめゆりの壕)には、ひめゆり学徒隊、教師、軍医、看護婦、一般避難民を含めた100人ほどがいた。壕内に米軍のガス弾が投げ込まれ、教師・生徒40名が無残な最期を遂げた。
生き残った学徒たちは壕を脱出して、最南端の岩かげやアダンのジャングルに身を隠しながらさまよい歩きましたが、ある者は追いつめられて傷つき倒れ、ある者は手榴弾で自決した。
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