日本は何故、反省しないのか?

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Re: 間抜け、好戦的、悪漢、痴漢の倭w

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/11/02 23:47 投稿番号: [57381 / 60270]
それとさ。火病発作起こすかもしれないけど・・・

「間島出兵史」(現代語訳にしておいてやる)
「大正15年5月3日
朝鮮軍参謀長   林   仙之
陸軍省副官   中村幸太郎殿
左記書類送付ス
左記
間島出兵史   二
朝鮮軍司令部」

「第2章   作戦行動
里付近谷地に停止しているとの情報を得て、左記の部署を発動する。
1.山田討伐隊(歩兵第73連隊長指揮、第5中隊を主力基幹部隊とする)は、可及的速やかに有力なる部隊をもって、賊の退路となる西方地区に進出。
この退路を遮断すると共に、主力部隊は賊を索敵、殲滅すべし。
2.騎兵連隊(長・加納大佐)は主力をもって後車敲溝・前車敲溝・昇平嶺方面より迂回し、老嶺方面の賊の退路を遮断せよ。
3.歩兵第74連隊の2個中隊、機関銃1個小隊、野砲兵1個小隊は、碩道溝へ進出し、待機せよ(支隊予備隊となす)」

「山田討伐隊は2個縦隊となり、青山里へ進出した。
その右縦隊(中村大隊)は18日(10月18日)碩道溝を進発、蜂蜜溝を経て青山里へ進出する途上の19日、蜂蜜溝西南3kmの谷地に於いて、約40の馬賊と交戦、これを撃退。
以後、峻険な山岳地帯を踏破、21日、青山里にて主力部隊と合流する。」

「・・・21日、討伐隊は主力をもって密林中に遁入した賊を求め・・・
(中略)
安川少佐の指揮する選抜1個中隊をもって、老嶺方面へ追撃戦を展開した追撃隊は・・・
(中略)
警戒を厳にして進む事7〜800mで、賊の射撃を受ける。追撃隊はこれに応戦し、交戦に入る。
交戦後30分にして、賊は逐次退却を始め、追撃隊は主力部隊よりの増援を含め老嶺方面へ追撃戦を展開するも、賊の大半は老嶺東南の谷地密林中へ逃走し、一部は安円県方面へ逃走し、以後接触を絶つ・・・
(中略)
この戦闘において我が軍戦死・兵卒4名。負傷・下士官1名、兵卒2名。
賊は死体16を遺棄する・・・」

「騎兵連隊は昇平嶺方面への進出を図るも、悪路と湿地帯にて行動不能となる。
為に、支隊予備隊との連動を企図し、五道陽*に進出し、賊の情報を収集しつつ漁郎村に到達、宿営する。

翌22日5時30分ごろ、金佐鎮配下の士官生徒隊を基幹とする約300の賊は、騎兵連隊の偵察斥候隊に攻撃を開始。
連隊は直ちにこれと交戦状態に入る。
支隊予備隊もこの方面に急行、増援と為す。

賊は標高八七四高地南側を占領し、地の利を生かし頑強な抵抗を行い、交戦は約5時間に及んだ。
午後零時30分、飯野大隊が戦闘参加。遂に賊を撃退する。
この戦闘において我が軍戦死・下士官1名、兵卒2名。負傷・兵卒12名。
賊の死傷者は正確ではないが、60余名に達する。

捕虜5名、遺棄小銃22丁、弾薬約2200発、軽機関銃1丁を鹵獲する。
敗退した賊は、西南方面密林地帯に四散し、その後の退却方面は判明しない・・・」

「アジア歴史資料センター」レファレンスコードC03022770200
「間島出兵史   送付の件」(P80〜P83)


・・・・加納大佐、戦死どころか、不逞鮮人、ぶっ叩いているじゃんよ・・・(笑)
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