Re: 間抜け、好戦的、悪漢、痴漢の倭w
投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/11/02 22:53 投稿番号: [57378 / 60270]
>高句麗が撃破したのは隋・唐じゃなかったっけ?w
最後には唐に滅ぼされたけど・・・
高句麗は「ちょーせん」とは無関係だし?(苦笑)
>李提督が23戦23勝した相手は倭の水軍じゃなかったっけ?
正規艦隊(軍船団)相手には逃げ回ってて。ほぼ非武装の「輸送船団」ばかりと遣り合っていたけどね、李君は・・・
>青山里戦闘で光復軍に殲滅されたのは倭の関東軍じゃなかったって?w
『朝鮮独立運動之血史』(1920)、『大韓民国政党史』(1964)、『韓国戦争史』(1967)、『韓国民族運動史』(1975)・・・・
いやはや、小は「1千余人」から、大は「3300人」と、日本側の損害を書いているが。
おまけに「加納連隊長」戦死、とか、書いているが・・・
日本側の史料によれば、青山里戦闘で受けた日本軍の損害は、わずかに戦死11、負傷24のみで将校の死傷は見当たらない。
*この報告は靖国神社の合祀名簿によって裏付けが取られている。
また、間島出兵後の第19師団の備蓄兵器調査などからも、
日本軍の戦闘損耗はきわめて軽微だったことが確認されている。
おまけに「加納連隊長」こと、騎兵第27連隊長の加納信暉大佐は・・・
「『間島出兵史』に将校の戦死記録はない」
「靖国神社の合祀名簿に加納大佐の名前はない」
「厚生省の戦死者名簿にも名前がない」
「陸軍士官学校出身騎兵戦死者名簿にも名前がない」
あ〜んど・・・
「騎兵第27連隊歴代連隊長の任期」(「騎兵第27連隊概史」)
中佐 土屋 篤 大正5年4月18日〜大正8年
大佐 加納 信暉 大正8年〜大正11年8月15日
大佐 飯島 昌蔵 大正11年8月15日〜大正14年
大佐 早川 靖 大正14年〜昭和3年
(設立〜大正末期まで)
「大佐 加納 信暉 大正8年〜大正11年8月15日」
大正11年は、1922年。
「青山里戦闘」とか言っている、間島での不逞鮮人掃討戦が行われたのは、1920年10月21日から26日にかけて。
翌1921年初頭には、にほぼ撤兵し、同年5月までに完全に撤収した。
加納信暉大佐は、翌1922年(大正11年)8月まで連隊長職にあり、後任の飯島昌蔵大佐と交代している。
その後、加納大佐の記録が見えないことから、第27騎兵連隊長職を持って最後とし、「予備役被仰付」(予備役編入)になった可能性が高い。
一方朝鮮人武装組織は満洲を放棄し、レーニンが構想した遠東革命軍に参加するためシベリアに向かったが。
そこで内紛と赤軍による武装解除により壊滅状態に陥っているな・・・orz
参考までに、お前さんの宗主国様内の居住同胞も、面白い事言っているねぇ・・・
ttp://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/16.htm
最後には唐に滅ぼされたけど・・・
高句麗は「ちょーせん」とは無関係だし?(苦笑)
>李提督が23戦23勝した相手は倭の水軍じゃなかったっけ?
正規艦隊(軍船団)相手には逃げ回ってて。ほぼ非武装の「輸送船団」ばかりと遣り合っていたけどね、李君は・・・
>青山里戦闘で光復軍に殲滅されたのは倭の関東軍じゃなかったって?w
『朝鮮独立運動之血史』(1920)、『大韓民国政党史』(1964)、『韓国戦争史』(1967)、『韓国民族運動史』(1975)・・・・
いやはや、小は「1千余人」から、大は「3300人」と、日本側の損害を書いているが。
おまけに「加納連隊長」戦死、とか、書いているが・・・
日本側の史料によれば、青山里戦闘で受けた日本軍の損害は、わずかに戦死11、負傷24のみで将校の死傷は見当たらない。
*この報告は靖国神社の合祀名簿によって裏付けが取られている。
また、間島出兵後の第19師団の備蓄兵器調査などからも、
日本軍の戦闘損耗はきわめて軽微だったことが確認されている。
おまけに「加納連隊長」こと、騎兵第27連隊長の加納信暉大佐は・・・
「『間島出兵史』に将校の戦死記録はない」
「靖国神社の合祀名簿に加納大佐の名前はない」
「厚生省の戦死者名簿にも名前がない」
「陸軍士官学校出身騎兵戦死者名簿にも名前がない」
あ〜んど・・・
「騎兵第27連隊歴代連隊長の任期」(「騎兵第27連隊概史」)
中佐 土屋 篤 大正5年4月18日〜大正8年
大佐 加納 信暉 大正8年〜大正11年8月15日
大佐 飯島 昌蔵 大正11年8月15日〜大正14年
大佐 早川 靖 大正14年〜昭和3年
(設立〜大正末期まで)
「大佐 加納 信暉 大正8年〜大正11年8月15日」
大正11年は、1922年。
「青山里戦闘」とか言っている、間島での不逞鮮人掃討戦が行われたのは、1920年10月21日から26日にかけて。
翌1921年初頭には、にほぼ撤兵し、同年5月までに完全に撤収した。
加納信暉大佐は、翌1922年(大正11年)8月まで連隊長職にあり、後任の飯島昌蔵大佐と交代している。
その後、加納大佐の記録が見えないことから、第27騎兵連隊長職を持って最後とし、「予備役被仰付」(予備役編入)になった可能性が高い。
一方朝鮮人武装組織は満洲を放棄し、レーニンが構想した遠東革命軍に参加するためシベリアに向かったが。
そこで内紛と赤軍による武装解除により壊滅状態に陥っているな・・・orz
参考までに、お前さんの宗主国様内の居住同胞も、面白い事言っているねぇ・・・
ttp://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/16.htm
これは メッセージ 57366 (xsizepistol88 さん)への返信です.