唐人行―その隠れた歴史−5
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/03/28 15:16 投稿番号: [55975 / 60270]
一片、唐人行たちを中心にいろいろの新たな形態の職種が出来た。現地人の女中になった女がいれば、金持ちの側室になった女もいた。頭がよく回る唐人行の中には独立して別の遊郭を建てたり、稼いだお金で唐人行のための日本飲食店や雑貨店などの店を開いた娼婦出身の女もいた。つい各国の港に自然的に唐人行を中心に日本人村が形成され、これを基に対日貿易が急増、商売が活発に進行された。こういう雰囲気で多くの唐人行が現地人と日本貿易商を仲介したり、たまには通訳さえ担当してくれた。自然に日本貿易は繁盛するしかなかった。長期間にかけて確実に基盤を平にならした唐人行たちを媒体にして商売をするのはあまりにも易しかった。又、彼女らが伝えてくれる現地の経済状況と住民たちの生活情報を通じてその国が何を必要とするかを正確に知るのができた。そのわけで現地人の立場では自分たちが切実に必要な品物を持って来て買うように誘う日本貿易商を拒否する理由がなかった。それに日本貿易商たちは日本国内で需要のある繊維や生活必須品を買って行ったりするので貿易取引は活発する一辺だった。
一方、国内は国内で幼い少女たちが紡績工場など欧米から導入した資本主義産業の一環で建てた生産工場で一日14時間以上働いた。いわば国内では労働で、海外では笑と肉体を売り日本経済の基盤を押し固めていた。しかし日本の為政者たちは国内問題解決だけにその目的をおいたんではない。日本は1800年後半から倦まず弛まず戦争準備をしていた。1853年開国以降、ヨーロッパが多くの植民地を持っているのに気づいて日本も中国はじめアジア国家を握り締めるため、その準備をしていた。日本女性界でもその準備の一環で愛国婦人会を組織し為政者たちを助け(1902年)、東南アジアで笑と体を売っていた唐人行たちも喜んで参加した。フィリピン・マニラーにいた唐人行の中にはおおよそ270名を超える女たちが入会書と共に一人当15円の入会費をその場で納付した。このときから唐人行たちは本格的に日本の東南アジア侵略戦争に積極的に参加するようになる。
その一例として1903年6月、日本軍隊が軍艦3隻を同伴、マニラーに入港したとき、現地にいた唐人行300余名は港に出て日本軍たちを熱烈に歓迎する喜び組(ヨロコビグミ)の役割を喜んでした。又、ロ日戦争のはじめに軍人たちが出征するため本国に帰ったり移動するときは旅費さえ彼女らがくれた。それだけではない。1904年戦争推進のために献納運動が開いたとき、相変わらず唐人行たちは売春で稼いだお金を全部収集し日本政府に献納した。彼女らが日本政府に献納したお金は僅か5千ドルを越えた。当時店員の月給が40円だったことを勘案したら5千ドルという金は物凄い金額だった。その金はどんな金か。彼女らには血のような金である。フィリピンにいる唐人行はアメリカ人に、シンガポールとミアンマではイギリス人に、ベトナムではフランス人に、中国では中国人に、ロシアではロシア人に、それから朝鮮では朝鮮の男たちを相手に体を売った。その当時東南アジアではアメリカをはじめ英国、フランスが支配していたので自然に日本の唐人行たちは現地人には勿論、はじめてみる西洋人にも体を売るしかなかった。そうやって稼いだ血みたいな大金を躊躇なしで国に献納したのだ。
(続き)
一方、国内は国内で幼い少女たちが紡績工場など欧米から導入した資本主義産業の一環で建てた生産工場で一日14時間以上働いた。いわば国内では労働で、海外では笑と肉体を売り日本経済の基盤を押し固めていた。しかし日本の為政者たちは国内問題解決だけにその目的をおいたんではない。日本は1800年後半から倦まず弛まず戦争準備をしていた。1853年開国以降、ヨーロッパが多くの植民地を持っているのに気づいて日本も中国はじめアジア国家を握り締めるため、その準備をしていた。日本女性界でもその準備の一環で愛国婦人会を組織し為政者たちを助け(1902年)、東南アジアで笑と体を売っていた唐人行たちも喜んで参加した。フィリピン・マニラーにいた唐人行の中にはおおよそ270名を超える女たちが入会書と共に一人当15円の入会費をその場で納付した。このときから唐人行たちは本格的に日本の東南アジア侵略戦争に積極的に参加するようになる。
その一例として1903年6月、日本軍隊が軍艦3隻を同伴、マニラーに入港したとき、現地にいた唐人行300余名は港に出て日本軍たちを熱烈に歓迎する喜び組(ヨロコビグミ)の役割を喜んでした。又、ロ日戦争のはじめに軍人たちが出征するため本国に帰ったり移動するときは旅費さえ彼女らがくれた。それだけではない。1904年戦争推進のために献納運動が開いたとき、相変わらず唐人行たちは売春で稼いだお金を全部収集し日本政府に献納した。彼女らが日本政府に献納したお金は僅か5千ドルを越えた。当時店員の月給が40円だったことを勘案したら5千ドルという金は物凄い金額だった。その金はどんな金か。彼女らには血のような金である。フィリピンにいる唐人行はアメリカ人に、シンガポールとミアンマではイギリス人に、ベトナムではフランス人に、中国では中国人に、ロシアではロシア人に、それから朝鮮では朝鮮の男たちを相手に体を売った。その当時東南アジアではアメリカをはじめ英国、フランスが支配していたので自然に日本の唐人行たちは現地人には勿論、はじめてみる西洋人にも体を売るしかなかった。そうやって稼いだ血みたいな大金を躊躇なしで国に献納したのだ。
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これは メッセージ 55974 (ilkuji_99 さん)への返信です.