日本は何故、反省しないのか?

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はい、やり直し嘘つき君

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2005/09/01 15:11 投稿番号: [54660 / 60270]
>引揚の船が来ても、朝鮮人の乗船は禁止した。これが日本のために死の覚悟で戦った・働いた朝鮮人への日本の報いだった。

現実は、戦勝国気取りで残っていてもいい生活が出来るとたかを括ったのが裏目に出ただけじゃないか。

ソ連兵は日本人のように慈悲深くなく、情け容赦なくあつかったからな。

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数年前にサハリンを訪れた産経新聞の記者は、現地の韓国人からこういわれた。
「私たちは戦前、自分の意思でサハリンヘ来た。それなのに日本のお金で韓国へ連れていってくれると
はありがたいことだ」   サハリンにいる韓国人(朝鮮民族)は何も、日本時代に募集や徴用で渡った人
たちばかりではないのだ。支援の対象者を実際に選ぶ作業は、韓国やサハリン側に任されており、日本
側はチェックする手段がないという。
  韓国への一時帰国は、すでに何年も前から、本来の目的であった家族再会は隅っこに押しやられ、
付き添い役の二世、三世が主体となった”買い物ツアー化”が指摘されている。
  夫とともに残留韓国人の帰還運動を続けた掘江和子さん(七七)は、「本当に祖国へ帰りたかった
お年寄りたちはもうほとんどいない。日本に支援するお金があったら、ほかの困っている人たちに
回すべきではないか」と話している。

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そして新事実も出てきた。

戦後サハリンには朝鮮族に三つのグループがあった。
ひとつのグループは、先住朝鮮人であった。戦前から入植していたり出稼ぎでやって来た者、
戦時動員で来た労働者が含まれる。その出身地はほとんどが朝鮮半島の南であり、
心情的にはのちの北朝鮮を忌避していることから、現在は自らを「韓国人」または「韓人」と称している。
もうひとつのグループは戦後にやって来た「派遣労務者」である。
朴の手記には彼らののことがつぎのように記されている。

二十一年五月ごろだろうか、北韓[北朝鮮]からの派遣労務者が四千トン級の船で千名もやって来た。
長いあいだ戦争に疲れた耐乏生活のためか、その服装は同じ同胞でありながら恥ずかしいぐらいみじめであった。
他の先住民らはその憐れな同胞を接待してやった。その後何回となく船は着いた。
労務者の数は約五万人。しかしこの人たちは私たちと思想がちがっていたせいか、
常に双方のあいだは不和であったので、たびたび喧嘩が起きたのである。

三つめのグループにソ連系朝鮮人がいる。ウズベキスタン、カザフスタンなどの中央アジアに移住していた朝鮮族のうち、
共産党、軍人、ロシア語のできる者が、先住朝鮮人や派遣派遣労働者を管理し、思想教育をほどこすために派遣されてきたのである。
エンゲーベーの市町村支部にはソ連系朝鮮人の役人がひとりずつ配属されていた。

平成七年(一九九五)三月二十八日、韓国の「連合通信」の報道によって、
朴の手記にあるように、戦後まもなく派遣労働者がやってきたことが証明され
「産経新聞」がこのニュースを伝えた。
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