つまり
投稿者: doronpa90 投稿日時: 2005/07/16 21:12 投稿番号: [51623 / 60270]
世界でそんな寝言信じてるのは南北朝鮮人だけです。
朝鮮人は高句麗人に支配された民族なんだよね。
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http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nichiman.html約二百年間もの長期に渡って続いた日本・渤海間の使節往来ですが、なぜ、大武芸王は日本に使節を派遣したのでしょうか?
その第一の目的は、「軍事同盟」−現代風に言えば、「日渤安保」の締結でした。ではなぜ、渤海が「日渤安保」を必要したか?
それは渤海の建国事情にあったのです。渤海の歴史については、今なお多くの謎が残っているのですが、とりわけ建国史となると、更に多くの謎が残っています。ただ、これだけは言える事ですが、渤海建国の直接的要因の一つが、満州の大国・高句麗(こうくり)の滅亡にあったことだけは確かです。高句麗と言うと、朝鮮人の王朝と言うイメージがありますが、実際の所は、満州族−後の金・清を建てたツングース系北方民族が主体でした。高句麗は百済(くだら)を滅ぼし強大化した新羅(しらぎ)と、東アジアの「盟主」唐の挟撃(はさみうち)にあい、668年滅亡しました。高句麗の遺民は、武装蜂起し国を再建しないように、各地に分散させられましたが、696年、モンゴル系契丹人・李尽忠、ツングース系靺鞨人・乞四比羽(唐人が発音を無理矢理漢字で表記したもので、原音は不明)らと共に、高句麗王族・乞々仲象(乞四比羽同様、原音は不明)も唐に対して反旗を翻しました。そして、この乞々仲象が建国したのが、「震国」−後の渤海国だったのです。つまり、渤海はその建国からして、大国・唐、更に朝鮮半島を統一した新羅と、敵対関係にあったのです。
これは メッセージ 51618 (ilkuji_99 さん)への返信です.
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