>なぜ?
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/06/09 00:33 投稿番号: [49223 / 60270]
それまでの朝鮮系日本人(日本人、です)が、本土系(変な表現ですが)日本人に暴行、略奪、殺戮を始めたからですよ。
旧朝鮮軍(日本陸軍朝鮮駐留軍)は、武装解除されていましたから。
当時、総督府の日本人警察官は朝鮮半島全土で3000人前後。
1カ村につき、1名の駐在さんがいた程度。
暴徒を防ぎきれません。
それで、半島南部に居住していた日本人は、1945年末までには、身の危険から、本土へ引き揚げたんですよ。
駐留米軍自体、日朝のいざこざには日和見でしたし。
*一部の米軍MPは、明らかに朝鮮側に「便乗商売」していましたし。
(「大東亜戦史8
朝鮮編」
池田佑編
昭和46年
富士書苑より)
ただ、より不幸だったのは。
半島北部に居住していた約30万の日本人と、中国・満州方面からの引揚者。
ソ連軍を背景に行政権を掌握した北鮮の人民委員会に足止めされ。
財産没収どころか、着の身着のままにされ、食料は与えられず。
日夜朝鮮人の暴行、略奪、殺戮、飢餓に苦しめられ。
3000名中、その半数が死亡した富坪の避難民の情況を調査するため
派遣された咸鏡南道人民委員会検察部、李相北情報課長自身、
次のように報告している。
「…かれら(在留日本人)の大部分は、途中において衣類、寝具等を剥奪され、
零細なる金銭と着衣のみにて咸興市内に殺到したるも…
われわれは36年間の日帝の非人道的支配に反発し、立場が逆になった日本人全般に対する民族的虐待という、
ごく無意識のうちにファッショ的誤謬をおかしたことを告白せざるを得ない。…
駅前に雲集せる三千余名の避難民を空砲と銃剣を擬して、即時咸興市外脱出を強要し、市外に追放した。
その結果、断え間なく降りつづいた雨中の川辺と路傍に野宿し、極度の困憊(こんぱい)と栄養不良を激成し、…
富坪避難民の宿舎は実にのろわれたる存在である。それは実に煤煙と、
あまりの悲惨さに涙を禁じ得ない飢餓の村、死滅の村なり。
襲いくる寒波を防ぐため戸窓はたらず、かますで封鎖され、白昼でも凄惨の気に満ちた暗黒の病窟なり、
それは避難民を救護する宿舎ではなく、
のろいを受くる民族のまとめられた死滅の地獄絵図にして、
老幼と男女を問わず、蒼白な顔、幽霊のようにうごめくかれらは皮と骨となり、
足はきかず、立つときは全身を支えることもできず、ぶるぶるふるい、子供たちは伏して泣す。
無数の病める半死体はうめきながらかますのなかに仰臥しており、暗黒の中にむせびつつ、……
そこに坐しているのは実に地獄の縮図以外の何ものにもあらず…」
これは メッセージ 49212 (tecks10 さん)への返信です.
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