灌漑施設
投稿者: shinkuuboakagi00 投稿日時: 2005/05/04 18:47 投稿番号: [47674 / 60270]
朝鮮半島が不毛の地だったとすることに対しては異論を挟む人も多いだろう。しかし、朝鮮半島が豊かな米産地になったのは明治43年の日韓併合以後のことである。
それ以後、朝鮮半島の米産は驚くべき速度で進み、大正末年には日本産の米価を圧迫しいわゆる朝鮮米問題を引き起こすほどまでに成長した。朝鮮半島が豊かな米産地になったのはあくまで日本側の技術資材の導入後のことであって、古来朝鮮半島が米産地であったわけではない。
明治38年朝鮮半島が日本の統治に入った当時の農業状態は、今日想像もつかないものであった。水稲の品種はほとんどが長茎で、倒伏しやすく、赤米と土砂の混入が甚だしかった。水利施設は不完全で、いわゆる天水田(雨に頼る灌漑施設のない田)が全水田の過半数を占めていた。農凶は著しく、旱魃洪水の多いことは、治山の荒廃がその因であった。
私(著者)の父は、京大の土木科を卒業後、鉄道院にはいり、すぐに朝鮮にいった。大田付近で農業用水の敷設に従事した。京大方式の最新疎水技術によってそうした不毛の原野を用水が貫流するようになった。こうして朝鮮半島の稲作はようやくその緒についたのである。
父のそのような苦心談を聞いている私にとって、歴史学者が統計がないことをいいことに、朝鮮半島を古来の大稲作地域のようにいいなすことの危険を感じないではいられない。
(映画監督・武智鉄二・魏史倭人伝の空白地帯)
これは メッセージ 47669 (daremogatigau さん)への返信です.
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