イルクジ>自国の史書の捏造
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/02/08 15:05 投稿番号: [43233 / 60270]
>>日本の史書なんか引用してないし
by
bottomlineshockさん
>自国の史書の捏造を認めるから?
>これをはっきりしてほしい。
>さて神功皇后の話は何故省略するの?
>これも捏造だと認めてるわけか?
>はっきりしろ! by ilkuji_99
ばーか、捏造ではない。
はっきり説明するから、ゆっくり読んでね。
「日本書紀」は720年に書かれた史書である。その日本書紀をして、その何百年前に起こった日韓の歴史上の事実を探るのは「検証」が必要である。検証は他に残された文章、「他の国の史書」や「遺跡」などと比較対照し、様々な角度から行われる。
そして、「神功皇后の記述部分」については、その検証が十分になされていないし、古い時代の話だから、検証が不可能な部分もある。だから様々な「仮説」が論じられている。
イルクジがそれを捏造であると主張するならば、その主張の根拠が必要で、その検証も必要となる。
これが歴史学の常識だね。
そこで、現在の日本の歴史学者、そしてBottomさんやHonkyさんはその学問的な常識に従って、一方的に「日本書紀の神功皇后の箇所に書いてある」とは口が裂けても言わないのだよ。
自分に都合のいい所だけ借用する韓国の捏造歴史学者とは、レベルが違う。
そこで、BottomさんやHonkyさんは、朝鮮や中国が書いた史書に基づいて、「日本>韓国」を証明している訳です。
この朝鮮や中国の史書の記述は、日本の史書とも矛盾しない。
韓国や中国から発見される遺跡の数々とも矛盾しない。
その結果、以下の通り。
◎高麗で書かれた『三国史記』「百済本紀」には、百済の「王、倭国と好(よしみ)を結び、太子腆支(てんし)を以て質と為す。」
◎高麗で書かれた『三国史記』「新羅本紀」には、新羅は 「倭国と好を通じ、奈勿王の子、未斯欣を以て質と為す。」
◎中国で書かれた『隋書倭国伝』には、 「新羅・百済、皆倭を以って大国にして珍物多しと為し、並びにこれを敬仰し、恒に通使往来す。」 以上、by bottomlineshockさん
◎朝鮮で書かれた史書「三国史記・新羅本紀」にも隠さず書かれている。
倭国が新羅を攻撃した回数:
一世紀以前:3件
二世紀: 2件
三世紀: 7件
四世紀: 5件
五世紀:16件
六世紀: 0件
新羅が倭国を攻撃した回数:
0件 (ただし、対馬攻撃計画は一度あったが反撃を恐れて中止したと書かれている)
*「倭国と好を通じ、奈勿王の子、未斯欣を以て質と為す。(実聖王元年<402>三月条) 」
*「王弟未斯欣、倭国自り逃げ還る。(訥祗王二年<418>秋条)」
「未斯欣」とは『日本書紀』で神功皇后が日本へ連行した「みしこち」(微叱己知)と同一人物。なお、一然著『三国遺事』では、「美海」と表記される。 以上、by honkytonkさん
>新羅を未開島軍が侵攻した by ilkuji_99
と書いたのは【高麗】です。分かった?
>自国の史書の捏造を認めるから?
>これをはっきりしてほしい。
>さて神功皇后の話は何故省略するの?
>これも捏造だと認めてるわけか?
>はっきりしろ! by ilkuji_99
ばーか、捏造ではない。
はっきり説明するから、ゆっくり読んでね。
「日本書紀」は720年に書かれた史書である。その日本書紀をして、その何百年前に起こった日韓の歴史上の事実を探るのは「検証」が必要である。検証は他に残された文章、「他の国の史書」や「遺跡」などと比較対照し、様々な角度から行われる。
そして、「神功皇后の記述部分」については、その検証が十分になされていないし、古い時代の話だから、検証が不可能な部分もある。だから様々な「仮説」が論じられている。
イルクジがそれを捏造であると主張するならば、その主張の根拠が必要で、その検証も必要となる。
これが歴史学の常識だね。
そこで、現在の日本の歴史学者、そしてBottomさんやHonkyさんはその学問的な常識に従って、一方的に「日本書紀の神功皇后の箇所に書いてある」とは口が裂けても言わないのだよ。
自分に都合のいい所だけ借用する韓国の捏造歴史学者とは、レベルが違う。
そこで、BottomさんやHonkyさんは、朝鮮や中国が書いた史書に基づいて、「日本>韓国」を証明している訳です。
この朝鮮や中国の史書の記述は、日本の史書とも矛盾しない。
韓国や中国から発見される遺跡の数々とも矛盾しない。
その結果、以下の通り。
◎高麗で書かれた『三国史記』「百済本紀」には、百済の「王、倭国と好(よしみ)を結び、太子腆支(てんし)を以て質と為す。」
◎高麗で書かれた『三国史記』「新羅本紀」には、新羅は 「倭国と好を通じ、奈勿王の子、未斯欣を以て質と為す。」
◎中国で書かれた『隋書倭国伝』には、 「新羅・百済、皆倭を以って大国にして珍物多しと為し、並びにこれを敬仰し、恒に通使往来す。」 以上、by bottomlineshockさん
◎朝鮮で書かれた史書「三国史記・新羅本紀」にも隠さず書かれている。
倭国が新羅を攻撃した回数:
一世紀以前:3件
二世紀: 2件
三世紀: 7件
四世紀: 5件
五世紀:16件
六世紀: 0件
新羅が倭国を攻撃した回数:
0件 (ただし、対馬攻撃計画は一度あったが反撃を恐れて中止したと書かれている)
*「倭国と好を通じ、奈勿王の子、未斯欣を以て質と為す。(実聖王元年<402>三月条) 」
*「王弟未斯欣、倭国自り逃げ還る。(訥祗王二年<418>秋条)」
「未斯欣」とは『日本書紀』で神功皇后が日本へ連行した「みしこち」(微叱己知)と同一人物。なお、一然著『三国遺事』では、「美海」と表記される。 以上、by honkytonkさん
>新羅を未開島軍が侵攻した by ilkuji_99
と書いたのは【高麗】です。分かった?
これは メッセージ 43219 (ilkuji_99 さん)への返信です.