日本は何故、反省しないのか?

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恥辱碑と迎恩門

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/01/22 11:22 投稿番号: [42317 / 60270]
>>支那皇帝の臣下より朝鮮国王の方が身分が低く、臣下が朝鮮に来れば歓迎門まで出向き跪いて向えたよな。

>僕には朝鮮王朝実録があるぞ。
>ぼくの持ってる資料にはそういったことは一行も書いてない。
>君ら見たく君らの都合に悪いのは破壊、隠蔽しようとするのが悪いと思うんだけど。

inishieniが持っている「朝鮮王朝実録」は、漢文?   全巻あるの?
都合の悪いところは全文削除か?
本当にソウルに住んでるの?
自分の足で調べて来いよ。自分の国の歴史なんだから。
破壊、隠蔽しようとしたのは、韓国人じゃないの?
韓国人が書いた本には、以下のように「紹介」されている。

ソウル市松坡洞に、「三田渡碑」という高さ5メートル70センチ、幅1メートル40センチの堂々とした石碑が立っている。
これは清の太宗の頌徳碑で、名称を「大清皇帝功徳碑」というが、韓国では「恥辱碑」として知られて来た。大韓民国の史蹟第101号に指定されている。
仁祖はこの時、それまで軽蔑していた胡服を着て、松坡の三田渡に設けられた「受降壇」に於いて、屈辱的な降伏を行った。「受降」とは、降伏を受け入れる事である。
仁祖王は「受降壇」に於いて、清の太宗に向かって9回、地面に頭をつけて、叩頭する拝礼を行なった上で、清からの一方的な和約を結ばされた。1637年1月30日の事だった。
その和約の項目に、毎年朝鮮王朝は清国皇帝に金100両、銀2000両、宦官、処女の女を併せ3000人を差し出せ。日本との交流を「許す」というのがある。

1895年に日本が日清戦争に勝つと、李氏朝鮮は清国の属国としての桎梏を逃れて、独立国と成る事が出来た。国号が清国と対等な国として大韓帝国に改められ、第26代の高宗王が、中華圏に於ける中国皇帝の臣下を意味する国王の称号を廃して初めて皇帝を称した。
「大清皇帝功徳碑」は、高宗32(1895)年に、余りにも恥辱であるとして、川の中に投げ込まれた。尤も、この碑は韓日併合後に、川底から掘り出されて、史碑として同じ場所に建立された。

高宗30(1893)年には、ソウルの西大門の近くに在った「迎恩門」が破壊されて、その場所に独立を記念する西洋式の独立門が建立された。
「迎恩門」は李朝を通じて、明、或は、清の皇帝の勅使がソウルを訪れた時に、朝鮮国王が其処まで迎え出て、勅使に対して9回叩頭する礼を行う場所だった。
今日、独立門は韓国の史蹟32号に指定されている。
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