貢女2
投稿者: hakke_nnn 投稿日時: 2005/01/08 14:27 投稿番号: [41324 / 60270]
高麗が元に服属した後の元宗15年(1274年)3月、
元は朝鮮への南宋の軍人(蛮子軍)を派遣した際、
高麗の婦女140名の提供を要求した。
これに対し、高麗政府は、「結婚都監」を設け、
市井の独身女性、逆賊の妻、僧人の女をかきあつめ、数を満たしたのだった。
集められた女達は「貢女」や「宮妓」として強制連行され、ひとり絹12匹の化粧代でモンゴル政府に売られていった。
結果としては、元の要求に仕方がなく、応じたと言うよりも、高麗政府は人身売買で化粧代を稼いだ形となった。
その翌年の忠烈王元年、元は高麗へ南宋の降人部隊「蛮子軍」1400人を派遣し、
駐屯させた。
高麗政府は軍人達を慰めるため、再び、「寡婦処女推考別監」を設け、
各地へ役人を派遣した。婦女を推考選別したのだった。
しかし、中華帝国の朝廷が、朝鮮人の「貢女」選考について少しでも不信を抱けば、すぐに朝廷から勅使が派遣された。
勅使は当然のごとく、朝鮮の王宮に乗り込み、
時には勅使が直接選考をすることさえあったという。
『明実録』(永楽7年2月)に記録されている例では、
明の永楽帝時代に内使の黄儼が勅使として朝鮮へ派遣され、
直接美女を選んだという。このことに恐れおののいた朝鮮政府は、
あわてて全国で婚嫁を禁止し、
13〜25歳までの処女を各地から数回にわたって集めた。
そして集めた女達をさらに王宮の京福宮で選別し、
最終的に美しい女を5名選び出したという。
これは メッセージ 41322 (hakke_nnn さん)への返信です.
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