馬鹿チョンは何故、反省しないのか?
投稿者: iikassaamaaworldcups 投稿日時: 2004/11/27 05:32 投稿番号: [40816 / 60270]
私の村は 地獄に なった (世界一 残忍な 朝鮮人)
1967年4月1日、グエン・バン・トイは、ベトナム中部の水田で働いていた。
当時、この地域では韓国軍が大規模な作戦を進めていた。韓国兵は農民を強制移住させていた。だが、多くの村人は先祖代々の土地を捨てる強制移住を嫌がった。トイが農作業を続けていると、いきなり機関銃の銃声と手榴弾の爆発音が響いた。あわてて身を隠し、あたりが暗くなるまで動かなかった。
村に戻ったトイが目にしたのは、身の毛もよだつ光景だった。家は黒焦げになり、少なくとも15人の村人が血の海に倒れていた。多くの遺体は銃剣で腹を切り裂かれていた。そのなかには、トイの妻と3人の子供の遺体もあった。生後4日の末の子は母親に抱かれたまま、背中を撃ち抜かれていた。4歳の娘ディエムは銃弾を5発受けていた。
■理由なき無差別の殺戮
韓国軍がベトナムに派兵されていたのは1965〜73年。こうした残虐行為のねらいは、ベトナム中部から農民を強制移住させて人口を減らし、ベトコンの勢力伸張を阻止することにあった。立ち退きを拒否した人々は、韓国軍の手で、組織的に惨殺された。犠牲者の多くは、老人や女性、子供だった。
グエン・フン・トアイ(46)も同じころ、アンリン郡の別の村で危うく殺されかけた。当時13歳だったトアイは、韓国軍が家に近づいて来るのを見てすぐに逃げた。近くの畑に隠れて見ていると、韓国兵は村の家に次々と火をつけ、母親と祖父母、弟と妹、そして近所の人々に暴行を加えた。
韓国軍は、トアイの家族を含む11人ほどの村人に銃剣を突きつけ、防空壕に追い込んだ。残りの12人ほどは、穴の外に立たされた。次の瞬間、何の前ぶれもなく銃声がとどろき、手榴弾の爆発音が空気を引き裂いた。
硝煙が消えたとき、すでに韓国軍の姿はなかった。トアイは急いで家族がいた場所へ行った。防空壕の前には、穴だらけになった血まみれの死体が並んでいた。防空壕の中も、誰かが生きている気配はまったくなかった。
■見つかったのは肉片だけ
「みんな、村を離れたくなかった。家や土地や水田はかけがえのないものだ」。トアイはそう言って泣きだした。「でも、立ち去るのを渋った人間は、みんな殺された。」
ブイ・タイン・チャムは数人の韓国軍がアンリン郡の家に押し入る直前、裏口から脱出した。韓国兵は70歳の年老いた父親を捕らえ、防空壕に押し込むと、すぐに手榴弾を投げ入れた。チャムは日が暮れてから村にこっそり戻り、崩れた避難壕を掘り返したが、肉片しか見つからなかった。
それから数週間、物ごいをしながらさまよったチャムは、共産ゲリラに加わる決意を固めた。「父を殺した奴らに復讐したかった。韓国兵が村でやったことを見た以上、そうせずにはいられなかった」
67年5月22日、フーイェン省ホアドン郡のミトゥアン村で農業をしていたチャウは、たまたま親戚のいる近くの村に出かけていた。そこへ前夜、韓国軍が村を攻撃したという知らせが届いた。
大急ぎで帰ったチャウが目にしたのは、村人が井戸からバラバラになった遺体を引き揚げている光景だった。犠牲者のなかには、妊娠中の妻と4人の子供も含まれていた。
■「首を切り落としてやる」
虐殺を隠れて見ていた老人の話では、韓国兵は女性や子供を井戸に落とし、助けを求める声を無視して手榴弾を投げ込んだという。チャウは、盛り土をしただけの簡単な墓に家族の遺体を葬った。
「殺されたのは女や子供ばかりだ。共産主義者なんかであるわけがない」と、チャウは言う。「韓国人は人間じゃない。目の前に現れたら、首を切り落としてやる!」
アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけ女性にとって恐怖の的だった。韓国兵は残忍なやり方で女性をレイプしてから、殺すケースが多かったからだ。
■補償より謝罪の言葉を
ベトナム人が望んでいるのは、韓国政府の公的な釈明だ。たとえば韓国側から謝罪や罪を認める発言があれば、両国の絆はむしろ強まると、地元の人々は考えている。
「韓国軍は、この地域にかつてない災厄をもたらした。犠牲者は銃を持てない老人や女性、子供たちだ」と、フーイェン省のある当局者は言う。「私たちが望んでいるのは、物質的な補償ではない。それよりも共感と友好の姿勢を示してほしい。犠牲者が過去を忘れられるように」
韓国軍のために流された罪なきベトナム人の血の量を考えれば、なんとささやかな要求だろう。
(ニューズウィーク日本版2000年4月12日号)
これは メッセージ 1 (you_beaut さん)への返信です.