南京強姦(抜粋翻訳)−II
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/09/26 16:07 投稿番号: [39665 / 60270]
慰安婦:南京の遺産
南京で起きた卸し強姦の最も奇怪な結果のひとつは西洋国家からの大々的抗議に対する日本政府の対応だった。問題を起した兵士を抑えるか処罰するより日本軍司令官は軍内地下売春制度を作る計画していて、その計画によりアジア全域にかけて数十万名の女性が陥穽に落とされた。「中央中国の日本軍遠征隊がこの期間中、慰安所設置を命じる令を発した」と日本の中央大学の著名な歴史教授の吉実義明が述べた。「なぜなら上海戦と南京戦の間、大規模の強姦について中国、アメリカとヨーロッパからの批難が恐いからです」その計画は簡単だった。大多数は日本の植民地の朝鮮から来たがまた、中国、台湾、フィリピンそれからインドネシアからの8万から20万名の女たちを誘惑したり、買ったり、あるいは誘拐したりして地元の女を任意に強姦する事件を減らし、(それで国際的な批難を受ける機会を減らすため)サックを使って性病の感染を防ぎ、長期間前線で戦う兵士たちを慰められると日本軍隊は望んだ。勿論あとでこの計画について世界に知られたとき、日本政府は責任所在を認知するのを拒否し、数十年間、政府じゃなく個人企業が戦時軍内売春所を運営したと主張して来た。しかし1991年、 吉実義明が日本防衛庁の文書保管所で「軍内売春婦の募集について」との題名の文書を発見、暴露した。その書類には日本軍司令部の高位幹部たちの印鑑がついていたし、中国で占領している地域の女を軍隊が強姦することを防ぐため、‘性慰安施設’の即刻的な建設を命じる内容を含んでいた。最初の慰安屋は1938年、南京近くで開かれた、女ににせよ屋ににせよ慰安という言葉は笑わせるものなのは、普通ならその名は綺麗な芸者女が下手にリュートを演奏しながら男を洗ったり指圧を提供するスパーイメージを連想させる。実はこういう売春所の状態は大体の文明人の想像を超えるほど卑賤だった。無数な女たちが(日本人は彼女らを公衆便所と呼んだ)自分の運命に気づいたときに自殺したり、性病で死んだり殺された。生き残った人も生涯の恥と孤立、妊娠不能あるいは病気で苦労した。大概の犠牲者は純潔を強調する文化から来たので戦後、最近まで恥とからかいに直面するのが怖くて自分の経験をほとんどいえなかった。アジアの儒教、毒に韓国の儒教は女性の純潔を命より大事にするしそういう恥辱的な経験をした女が自殺でもしなかったら、それ自体が社会への侮辱だとの考えを永続させたのだ。そういうわけで半世紀が経ってからやっと一部の慰安婦たちが沈黙を破る勇気を持ち、彼女らが苦労したことについて財政的な弁償を日本政府に要求できたのだ。
南京で起きた卸し強姦の最も奇怪な結果のひとつは西洋国家からの大々的抗議に対する日本政府の対応だった。問題を起した兵士を抑えるか処罰するより日本軍司令官は軍内地下売春制度を作る計画していて、その計画によりアジア全域にかけて数十万名の女性が陥穽に落とされた。「中央中国の日本軍遠征隊がこの期間中、慰安所設置を命じる令を発した」と日本の中央大学の著名な歴史教授の吉実義明が述べた。「なぜなら上海戦と南京戦の間、大規模の強姦について中国、アメリカとヨーロッパからの批難が恐いからです」その計画は簡単だった。大多数は日本の植民地の朝鮮から来たがまた、中国、台湾、フィリピンそれからインドネシアからの8万から20万名の女たちを誘惑したり、買ったり、あるいは誘拐したりして地元の女を任意に強姦する事件を減らし、(それで国際的な批難を受ける機会を減らすため)サックを使って性病の感染を防ぎ、長期間前線で戦う兵士たちを慰められると日本軍隊は望んだ。勿論あとでこの計画について世界に知られたとき、日本政府は責任所在を認知するのを拒否し、数十年間、政府じゃなく個人企業が戦時軍内売春所を運営したと主張して来た。しかし1991年、 吉実義明が日本防衛庁の文書保管所で「軍内売春婦の募集について」との題名の文書を発見、暴露した。その書類には日本軍司令部の高位幹部たちの印鑑がついていたし、中国で占領している地域の女を軍隊が強姦することを防ぐため、‘性慰安施設’の即刻的な建設を命じる内容を含んでいた。最初の慰安屋は1938年、南京近くで開かれた、女ににせよ屋ににせよ慰安という言葉は笑わせるものなのは、普通ならその名は綺麗な芸者女が下手にリュートを演奏しながら男を洗ったり指圧を提供するスパーイメージを連想させる。実はこういう売春所の状態は大体の文明人の想像を超えるほど卑賤だった。無数な女たちが(日本人は彼女らを公衆便所と呼んだ)自分の運命に気づいたときに自殺したり、性病で死んだり殺された。生き残った人も生涯の恥と孤立、妊娠不能あるいは病気で苦労した。大概の犠牲者は純潔を強調する文化から来たので戦後、最近まで恥とからかいに直面するのが怖くて自分の経験をほとんどいえなかった。アジアの儒教、毒に韓国の儒教は女性の純潔を命より大事にするしそういう恥辱的な経験をした女が自殺でもしなかったら、それ自体が社会への侮辱だとの考えを永続させたのだ。そういうわけで半世紀が経ってからやっと一部の慰安婦たちが沈黙を破る勇気を持ち、彼女らが苦労したことについて財政的な弁償を日本政府に要求できたのだ。
これは メッセージ 1 (you_beaut さん)への返信です.