ほえ?
投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/05/21 15:04 投稿番号: [37203 / 60270]
>蒙古が世界を支配するとき、高麗は六十年間も戦った。三別抄の最後の抵抗が終わり、結局高麗を蒙古は講和するが、蒙古に対抗して60年間も戦った国はない。
おろ?
・モンゴル軍の高麗侵攻開始は1231年。
・江華島に遷都は1232年。
対モンゴル(元)親朝条件で講和交渉開始が1257年
・東北界(咸鏡南道)において反乱(親元勢力による)とモンゴルに東北界(咸鏡南道)割譲/雙城総管府を設置が1258年。
崔氏政権倒壊も同年。
・モンゴルに降伏したのが1259年。
・西北界(平安道)モンゴルに帰順する反乱が発生/モンゴルに西北界(平安道)割譲
東寧府を設置したのが1269年。
・三別抄の解散を決定したのが1270年。
同年には江華島残留の三別抄、解散指示を拒否/反乱。
・モンゴル軍・漢軍(旧金朝の兵士)・高麗軍よる総攻撃で済州島陥落、三別抄滅亡したのが1273年。
じゃなかった?
実質、継続的にモンゴルの侵攻があったのは1231〜1258年までだね。
1259年にモンゴルに降伏しているから。ま、30年近く国土荒らされながらもよく頑張ったよ。
流石は「武臣政権」
これ以降は単なる「地方反乱」
>高麗のアドバイスとおり
って、高麗が元を焚き付けたんだが?(苦笑
>元寇ニダ。高麗が悪ニダと大騒ぎ。
ワロタ。
当時は「元」と関係がこじれ、「元」が襲来してきたとの認識はあったろうが...
「高麗」は意識すらしてなかったろうね。
実際「交渉・戦争相手」は「元」だし。
>当時の日本の能力じゃ1年も持たない。
ワロタ。
弘安の役では
1.博多地方の海岸線に防塁を築き、まともな上陸をさせなかった。
2.夜間襲撃で軍船を個々におそうゲリラ戦を展開。これが効果を上げていた。
特に1.は重要だね。
14万の大軍の上陸を阻止しつづけたというのは。
結局、台風シーズンまで上陸できないで壊滅、だもんなぁ...
1万の元軍に簡単に上陸され敗北した済州島の三別抄とは大違いだね?
これは メッセージ 37183 (bakajaps さん)への返信です.
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