ほう、金富軾は「ちょく」だったのか!
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/05/15 17:58 投稿番号: [36625 / 60270]
ワロタ!
>太子以下500名の使節団を「人質」だと平気に書くちょく島の
古事記と日本書紀はお前らが
いかに歪曲に絶望的だったかがわかる。
腆支王は、なぜ泣いて倭王に帰国を懇願したんだ?(これも金富軾が書いた事。)
オイオイ!
『三国史記』の「百済本紀」と「新羅本紀」を書いた金富軾は高麗人じゃなかったのか!(笑)
ほーーーーーーーーーーーーーー!
>その人質を百済が滅亡した後、
百済の王にして倭の軍隊と一緒に
白江戦闘に投入した?
それが人質だったの?
そうだ。
イギリスにとってのアウンサン・スーチー女史と同じだな。
朝鮮南部の権益を護る為に、王子豊を百済王に冊封し、「織冠」を与えたわな。
その権益は、中国南朝の劉宋も認めたしな。
あ、文句があるなら、中国人に言え。
分かったか? おう?
これは メッセージ 36621 (ilkuji_99 さん)への返信です.
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