日本は何故、反省しないのか?

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うそピョ〜ン☆

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/04/19 19:13 投稿番号: [35181 / 60270]
>これらの文学作品はどうみても日程時代に作られたものではなく、王朝時代に作られたものだけど。

あの〜、「普及」と、オレは言ったのだが???
「普及」だよ、「普及」。国民の識字率に寄与した「普及」。OK?

>朝鮮王朝中期以来、ハングルは国民の文字として十分使われた。

朝鮮王朝中期の識字率は???(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・

また、ハングルが存在するにもかかわらず、識字率は朝鮮朝末期まで非常に低い水準にとどまっていました。しかも、漢字・漢文が正字、あるいは真書とされ重んじられたのに対し、ハングルはオムムンと呼ばれさげすまれていました。しかもハングルが公用文として用いられるようになるには甲午改革(1894年)まで待たなくてはなりませんでした。また、〈大いなる文字〉という意味の〈ハングル〉という名称は朝鮮が日本統治下に入ってから考案されたものです。〈大いなる文字〉と言う素晴らしい名前を付けられたにもかかわらず、その地位は依然としてオムムンのままでした。
  〈ハングル〉の普及を真剣に考えたのは、実はハングルを民族文化の誇りとしている朝鮮人でなく、日本人でした。朝鮮総督府が支配のために努力したのでしょうか?   それはもっと後のことです。まず、最初に〈ハングル〉の普及を重要事項と考えたのは日本の文明開化のスーパースター・慶応義塾塾長・壱萬円札の男、ご存知、福沢諭吉です。もう少し正確に言えば、未開国朝鮮を文明国へと導くためには、何よりも、世界で起こっている出来事を、文明開化とは何かということを万人に伝えなければならないと考えた福沢は、識字率を上げる必要を痛切に感じていたのです。3)
  そこで、福沢は朝鮮政府に招聘された福沢の弟子、牛場卓蔵・高橋正信・井上角五郎に朝鮮の独立と朝鮮人の啓蒙のためには、朝鮮語による新開の発行が不可欠であるという薫陶を与え、彼らを朝鮮に送ったのでした。しかし、ことは簡単には進まず、牛場卓蔵、高橋正信はきびしい情勢に見切りをつけて帰国してしまいました。井上だけは朝鮮にとどまり、やがて外衙門顧問となりました。福澤は自費でハングル活字を作り、井上に漢字ハングル混じりの表記での新聞発行を奨めたのでした。当時、朝鮮国内で日本と朝鮮の覇権を争っていた清国官憲と朝鮮人の一部からはげしい反撥と憎悪はあったものの、井上は朝鮮における最初の新開『漢城旬報』の発行に成功したのでした。

http://mk-iccs.cool.ne.jp/hangul.htm
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