ど、どこがぁ〜?(笑)
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/04/07 01:05 投稿番号: [34612 / 60270]
>そこで高麗人がでるというのは、それだけ当時の高麗人の言うことには権威があったと解釈出きるらしい。
できる「らしい」?
やっぱ、オルグかなんかで聞いたんですか?(笑)
でね、その「高麗人(こまうど)」って、実は渤海人なんだな。
そのリクツで言うと、映画「キル・ビル」に千葉真一演ずる名刀鍛冶師が出ると、日本の権威があったと解釈できるのかエ?
あのさあ、「エキゾチズム」って分かる?
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(コピペ)
698年、大祚栄{だいそえい}が靺鞨{まっかつ}族を率い旧高句麗の大半を占領して建国した渤海は、新羅が渤海の圧力で唐と手を結んだため、渤海は日本と結ぼうとして、神亀4(727)年、渤海使節が初めて日本に朝貢した。この使節を渤海使といい、延喜19(919)年まで34回続いた。日本から渤海へは遣渤海使が神亀5(728)〜弘仁2(811)年に13回派遣された。渤海の使節の接客場所として、日本海側の越前(現在の福井県)の松原客院と能登(現在の石川県)の能登客院があてられた。貿易も行なわれるよ
うになり、渤海からは毛皮・薬用人参が、日本からは絹・綿が交易された。
http://www.melma.com/mag/41/m00010441/a00000185.html・・・・・・・・・・・・
>>日本に茶を持ち込んだのは栄西(鎌倉時代の人)だろ
>え、そうだったっけ。ますます茶道の朝鮮発祥説に信頼性が高くなってゆくね。
(コピペ)
茶の源は中国に起こり、全世界に普及したことは言うまでもない。我が国近代の茶の基は禅宗に深く関わった経緯がある。栄西禅師(1141〜1215)は中国にて修行(宋の禅宗・臨済宗)の後1191年(建久2)に帰国してから九州各地をまわり、1195年には博多に聖福寺を建てて、戒律を重視する禅をひろめる第一歩とした。後に日本で最初の茶の本『喫茶養生記=1211』を著す。栄西禅師は帰国に際し、茶の種を持ち帰り筑前の背振山に植え、更に明恵上人にれを贈っとされている。
明恵上人(1173〜1232)は京都・栂尾の高山寺の開祖として、この地他、宇治・大和・伊勢・駿河・川越等に移植し隆盛したとするのが一般的解釈である。茶の普及は、その効果・効用・効能に精神面が加わり、茶道・煎茶道が確立し、趣味、趣向から今日、国民飲料として発達した。
↑え? 「ますます茶道の朝鮮発祥説に信頼性が高くなってゆくね」なんですか?
http://www.sala.or.jp/~matu/mihon8.htm
これは メッセージ 34599 (bakajaps さん)への返信です.
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