対韓国戦後処理は終わってる。(3)
投稿者: crossfireserver 投稿日時: 2001/05/04 17:29 投稿番号: [3435 / 60270]
■6.日本の戦時賠償■
これに対し、わが国はどうか。日本は昭和26年のサンフラ
ンシスコ条約において、米、英、仏、オーストラリアなど45
カ国との間で平和条約を締結した。ここでは連合国の請求権に
ついて次のように規定されている。
連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中
に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及び
その国民の他の請求権・・・を放棄する。
この代償として、わが国は海外で保有していた在外資産をす
べて放棄した。たとえば、満州、朝鮮の鉄道、工場から、はて
は中国大陸やアメリカで、日本の企業や個人の保有していた建
物、設備、預金など、すべてがそれぞれの国に没収された。
その総額は終戦直後の日銀の大まかな試算では、1,111億ドル
とされている。1ドル10円換算で、1兆1千億円。現在価値
では、その数十倍にあたろう。
さらに中華民国、フィリピン、インドネシア、ベトナムなど、
アジア各国に対し、一国ごとに日本は賠償を支払い、相手国は
請求権を放棄するという形で、正式な協定をもって解決してき
た。現在、この処理が終わっていないのは、北朝鮮だけである。
たとえば、昭和31年に結ばれたフィリピンとの賠償協定で
は、賠償・借款あわせて2880億円を20年分割で支払うことと
なった。この年の政府予算9900億円の3割近い規模である。す
べての国との賠償が完了したのが、昭和52年。支払い開始か
ら23年後であった。[6,p19]
この几帳面さと誠実さは、「いまさら賠償請求はないと思う
が」などというドイツの姿勢とは著しい対照をなしている。
■7.「罪」と「責任」の違い■
賠償の次に、ドイツの謝罪ぶりを見てみよう。
罪のある者もない者も、老若男女いずれを問わず、われ
われすべてが過去に責任を負っている。
このワイツゼッカー大統領の有名な「荒れ野の40年」とい
う演説を引き合いに出して、朝日新聞「声」欄は言う。
かえりみて、わが国戦後の歴代首相や閣僚は、日本の戦
争責任と、侵略を受けた諸国に対する明確な謝罪を、心を
込めて表明したことがあるだろうか。[8]
しかし、それほどドイツは誠実に謝罪しているのだろうか。
ワイツゼッカーの演説の「罪のある者もない者も」という部分
を見落とすべきではない。「罪」と「責任」を厳密に区別して
いる。この違いについて、ワイツゼッカーは、朝日新聞の記者
とのインタビューで次のように答えている。
人は自分に罪がないことにも、責任をとることができる。
例えば、私の自動車を他人が運転して事故を起こしても、
私は賠償責任を負う。[2,p326]
この区別と、次の言葉をあわせて、ようやくワイツゼッカー
の本音が見えてくる。
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というよ
うなことはありません。罪といい、無実といい、集団的で
はなく個人的なものであります。
ワイツゼッカーの回りくどい主張はこう要約できよう。当時
のドイツは、ヒットラーに乗っ取られた車のようなものだ。そ
れが暴走して事故を起こした、その罪はヒットラーとナチス党
員の個人的なものである。車の所有者たるドイツ民族には、賠
償責任はあっても、罪はない。
これに対し、わが国はどうか。日本は昭和26年のサンフラ
ンシスコ条約において、米、英、仏、オーストラリアなど45
カ国との間で平和条約を締結した。ここでは連合国の請求権に
ついて次のように規定されている。
連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中
に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及び
その国民の他の請求権・・・を放棄する。
この代償として、わが国は海外で保有していた在外資産をす
べて放棄した。たとえば、満州、朝鮮の鉄道、工場から、はて
は中国大陸やアメリカで、日本の企業や個人の保有していた建
物、設備、預金など、すべてがそれぞれの国に没収された。
その総額は終戦直後の日銀の大まかな試算では、1,111億ドル
とされている。1ドル10円換算で、1兆1千億円。現在価値
では、その数十倍にあたろう。
さらに中華民国、フィリピン、インドネシア、ベトナムなど、
アジア各国に対し、一国ごとに日本は賠償を支払い、相手国は
請求権を放棄するという形で、正式な協定をもって解決してき
た。現在、この処理が終わっていないのは、北朝鮮だけである。
たとえば、昭和31年に結ばれたフィリピンとの賠償協定で
は、賠償・借款あわせて2880億円を20年分割で支払うことと
なった。この年の政府予算9900億円の3割近い規模である。す
べての国との賠償が完了したのが、昭和52年。支払い開始か
ら23年後であった。[6,p19]
この几帳面さと誠実さは、「いまさら賠償請求はないと思う
が」などというドイツの姿勢とは著しい対照をなしている。
■7.「罪」と「責任」の違い■
賠償の次に、ドイツの謝罪ぶりを見てみよう。
罪のある者もない者も、老若男女いずれを問わず、われ
われすべてが過去に責任を負っている。
このワイツゼッカー大統領の有名な「荒れ野の40年」とい
う演説を引き合いに出して、朝日新聞「声」欄は言う。
かえりみて、わが国戦後の歴代首相や閣僚は、日本の戦
争責任と、侵略を受けた諸国に対する明確な謝罪を、心を
込めて表明したことがあるだろうか。[8]
しかし、それほどドイツは誠実に謝罪しているのだろうか。
ワイツゼッカーの演説の「罪のある者もない者も」という部分
を見落とすべきではない。「罪」と「責任」を厳密に区別して
いる。この違いについて、ワイツゼッカーは、朝日新聞の記者
とのインタビューで次のように答えている。
人は自分に罪がないことにも、責任をとることができる。
例えば、私の自動車を他人が運転して事故を起こしても、
私は賠償責任を負う。[2,p326]
この区別と、次の言葉をあわせて、ようやくワイツゼッカー
の本音が見えてくる。
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というよ
うなことはありません。罪といい、無実といい、集団的で
はなく個人的なものであります。
ワイツゼッカーの回りくどい主張はこう要約できよう。当時
のドイツは、ヒットラーに乗っ取られた車のようなものだ。そ
れが暴走して事故を起こした、その罪はヒットラーとナチス党
員の個人的なものである。車の所有者たるドイツ民族には、賠
償責任はあっても、罪はない。
これは メッセージ 1 (you_beaut さん)への返信です.