>模倣文化
投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2003/09/19 10:41 投稿番号: [32396 / 60270]
「模倣」と言う言葉から連想される「コピー・盗用」では無く、「外来文化を吸収・咀嚼し、自らに合った形に改良し・発展させる」と言った方が正しい。
更に言えば、その「改良・発展」した「外来文化」はまた、形を変えて外の世界へと流れてゆく。(更に、その流れた先でまた、形が変わって・・・)
文化とは、そう言うものであろう。
地域内のみでの限定、或いは外来文化の否定は「停滞・荒廃」に行き着く。
逆に絶えず刺激を受けつづけ、絶えず多文化の衝突・融合・昇華を繰り返して文化は発展してゆくのではないか。
起源・源流は確かにある。
それを形成した人々のメンタリティは尊敬に値する。
が、そこでとどまっては限界がある、と言う事だ。
日本に限らず「起源・源流」を有さない民族・地域社会のほうが圧倒的に多数派だと考えるか、如何?
文化の起源・外来文化、というのは「きっかけ」
その「きっかけ」をどれ程豊かに、大きく、融通性・汎用性があり、普遍性があるものにするか、それもまた「独自文化」だ。
>日本人は模倣することに対して何の心理的な拒否感もない。
言い替えよう。
「日本人は外来文化の吸収・改良・独自化・発展に対して、何の心理的な拒否感も無い。」
最後に・・・
東アジアに於いて、中華帝国周辺国は大なり小なり、中華文明の影響を受けつつ、その影響を独自に発展させてきた(自己流に変化させてきた)
ただ1つの民族だけが、それを拒み「大中華」の「完全なる模倣」を至上の目標として自ら独自文化の発展を拒んだ。
その追従振りを愛でた大中華が送った称号が「東方礼儀之邦」
「東方にある、大中華に対する『礼』(つまり、宗主=主人、に対する絶対的な忠誠)を欠かさない、優等生的属国・属民」
と言われた「朝鮮」である。
これは メッセージ 32392 (patoriot04 さん)への返信です.
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