続き
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/02/25 23:16 投稿番号: [30695 / 60270]
(その二)
マキン島へ救援に赴いた私(独立陸戦隊、中隊長の谷浦中尉)は、戦場で妙なことに気が付いた。どういうものか仰向けになった屍体が十五〜六あり、しかもすべて下腹部を露出している。死後一週間経っていたため原形は完全に崩れていて、顔の穴という穴はすべて蛆で真っ白である。
どうしてこんな格好をしているのだろう。被弾して苦痛のあまり無意識にズボンをずり下げたのか?。アメリカ兵といえばキリスト教徒であり、日本人以上に文明人とみなされ、しかも選りすぐった精兵とこの種の蛮行を結びつけることなど、遺体収容作業に当たった誰一人として思いつく者はいなかった。
戦後五十年経って意外な事実を知り、愕然とした。それはマキン襲撃の際に行われた、海兵隊の蛮行を物語る出版物を読んだからである。
(マキン、タラワの戦い、谷浦英夫著)
(その三)
作家上坂冬子の著書によれば、硫黄島の洞窟内から戦後米兵により持ち去られた日本兵の頭蓋骨は壱千個にもなるそうである。彼等はそれで灰皿やペン皿を作ったといわれ、また硫黄島で戦死した日本兵の頭蓋骨と称するものが、ロサンゼルスの骨董店で一個二十五ドルで売られていた。
(その四)、リンドバーグが見たもの
1927年(昭和二年)にニューヨーク〜パリ間において史上初の大西洋横断単独無着陸飛行を成功させ「翼よあれが、パリの灯(ひ)だ」の映画にもなったパイロットのチャールズ・リンドバーグは、1944年(昭和十九年)半ばの四ヶ月をニューギニアの米軍基地で陸軍将校として過ごしたが、その体験を日記に記し、後に「第二次大戦日記上巻、下巻」として出版した。
それによると彼は戦場で見たものにショックをうけた。それは兵士が嬉々として敵を殺したからではなく、米兵が日本兵に対して抱く、露骨な侮蔑の念とそれに基づく残虐行為を目のあたりにしての苦悩であった。
たとえ敵味方に別れて戦い軍服に違いがあるとしても、敵の人間としての勇気は勇気として、兵士の使命は使命として認めなければならないにもかかわらず、太平洋地域の連合軍の中には、そうした感情のカケラもないことを発見した。
そこでは士官も兵士も日本人に対する人種差別、蔑視から自分達と同じ人間とは考えず、単なる動物または「黄色い猿」としか見ていなかった。
注:)
ニューギニア戦線において捕虜となった日本兵の数がなぜ少なかったのか、その理由は以下を読めば納得できます。
これは メッセージ 30694 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
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