日本は何故、反省しないのか?

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>返信、2

投稿者: bianchi20022002 投稿日時: 2003/02/14 22:22 投稿番号: [30390 / 60270]
>>中国にどういう風に残ってんの?
>残ってるジャン!、どこの博物館かは忘れたけど、倭刀って書かれた刀が展示されてるジャン。

ギャハハハハハハハハハハハハハハハハアッハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!
たのむからそんなに笑わせないでよ、それネタだよな????(爆
倭刀なんてのは将軍からの進貢だけでなくその他のル−トで入っていくらでも残ってるだろうに?今話してるのは「倭刀術」っていう術だろ?その刀しか残ってないっていうならなんの影響も与えてないっていう見事な証拠じゃん(猛爆



>倭寇の武術の威力に驚き、研究して作られたんだから。

何、君の言う「倭刀」ってのはその後中国で作られたわけ?それなら影響与えたって認めてあげるよ、ささいな影響だけど。その後中国刀の半数(三分の一でもいいや)をしめたとか近衛兵の刀が倭刀変わったとかいったら凄い影響だけどね。
前にも書いたが一般の歴史書・百科事典に載らないようじゃどっちにしろ大したことはないのね、それとも君の教科書に載ってる(爆
でもちゃんと証拠だしてね、君のは「どこの博物館かは忘れた」とか「聞いたんだけど」ってのが多いから(笑

>そういえばもうひとついい証拠をお見せしよう。「室町時代前期の1429年、日本にきた朴端生は、次のように復命していた。それによると「日本の農人水車の設けあり」として、学生の金慎に「造車の法」を精査させて模型を作り、鍍銀(銀めっき)、造紙(紙漉)、朱紅、軽粉等の製造法を報告している。この時の復命では、日本の貨幣経済の実態や店舗商業の発展等にも及んだが、その中で技術に言及していたのは、渡航前に世宗から「倭紙堅靱、造作の法また宜しく伝習すべし」と、日本の技術を導入するよう命じられていたからである。だが残念なことに、それらの技術はいずれも朝鮮の風土に定着しなかった。灌漑施設としての水車の優秀性は、その後も何度か提議されていたし、造紙のほうも17世紀になり、柳馨遠が「倭楮の軽沢精緻に如かず」と、日本の楮(こうぞ)である倭楮を使った紙の製造を提唱しているからだ。これらの事実は、朝鮮側には日本の技術を受容し維持するだけの土壌が整っていなかったことを示している。これに対して日本では、朴端生が日本を訪れる百年以上も前に、水車を利用して離宮に川の水を汲み上げた話が『徒然草』(第五十一段)に記されている。その水車が農民たちの手で取り付けられていたことを考えると、当時、日本と朝鮮の間には相当の技術格差があったことがわかる。」朝鮮通信使などの翻訳本からです。これって、貴方の言う「影響」じゃないの?

長文ごくろう、でも失敗してるんじゃ影響とは言えんな−?(爆

>人の文を見て馬鹿にするのって教養ある人のすることじゃないよ。

馬鹿にされるような文書く人って教養のある人じゃないよ。
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